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テーマ:鉄道(21906)
カテゴリ:筑豊本線
鯰田駅(なまずたえき)は福岡県飯塚市鯰田にあるJR九州・筑豊本線(福北ゆたか線)の駅です。駅番号はJC16。
かつては、この駅から三菱鉱業鯰田炭鉱への引き込み線がありました。 単式ホーム2面2線を有する地上駅です。 以前は国鉄式の2面3線の駅でしたが、現在は2番線は撤去されていて、今の2番のりばは当時の3番線となっています。 2番乗り場の2番線撤去というのは、輸送量が減った駅で最近よく見られる光景ですが、私がここ最近訪れた駅では、鹿児島本線の瀬高駅(福岡県)、渡瀬駅(福岡県)、川尻駅(熊本県)も同じように2番乗り場が使われない駅となっていましたね。 2020年度(令和2年度)の1日平均乗車人員は279人となっています。 かつては有人駅でしたが、2015年(平成27年)3月に無人駅となりました。 駅舎も昔ながらの古い駅舎がありましたが、2013年(平成25年)2月に今の新しい駅舎となっています。 飯塚市北部の鯰田地区の一角にあって、駅前を遠賀川が筑豊本線に並行して流れていて、川の向うには国道200号が通っています。 駅裏には市役所出張所や小学校・郵便局があり住宅も多く建ち並んでいます。 かつてあった三菱鉱業鯰田炭鉱への引き込み線は、この駅裏側のほうから伸びていました。 閉山した鯰田炭鉱の跡地は現在、飯塚のオートレース場に姿を変えています。 鯰田駅は1893年(明治26年)7月に筑豊興業鉄道が開設した駅です。 九州ではじめて鉄道が博多駅から久留米駅まで走ったのが1889年(明治22年)12月ですから、この鯰田駅の歴史も九州・福岡県の中では長いほうになりますね。 筑豊本線が折尾駅から直方駅、そして飯塚駅に下っていく過程にあって、当初、この鯰田駅は建設予定にはなかったそうですが、飯塚市出身・麻生太郎の祖先・曾祖父にあたる麻生太吉が1884年(明治17年)に鯰田炭鉱を開坑していて、のちに三菱に売却されたのですが、この鯰田炭鉱がその当時にこの飯塚地区で最大の炭鉱だったために、この鯰田駅が作られたとのことです。 ちなみに麻生太郎の実家はこの鯰田駅から2つ下った新飯塚駅の近くにあります。 麻生太吉にとって麻生太郎はひ孫となるのですが、飯塚の炭鉱王といわれた麻生太吉を始祖とする麻生家の繁栄はかつて飯塚地区では最大の大きさを誇った、この鯰田炭鉱からはじまったと言ってよいでしょうね。 麻生家の繁栄を築き上げた飯塚地区の炭鉱は今現在もうひとつも残っていません。 しかし、形を変えて麻生グループは医療・教育・人材・建設資材などの分野で飯塚を中心に福岡で繫栄しています。 私の弟も高校を卒業した後は福岡市にあった公務員関係の麻生関連の専門学校に通っていました。 そして、鯰田炭鉱を開坑した麻生太吉のひ孫・麻生太郎は80歳を超えた現在も衆議院議員であり続け、与党・自民党でいまだに大きな権力を握っています。 【中古】【全品5倍!10/18限定】とてつもない日本 / 麻生太郎 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.10.17 19:19:43
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