【大峠を行く・第1章】、国東半島シリーズ、今作で最終回です
シリーズ初回で「全部廻る」と宣言wしていた半島5市町村のうち、今作はさいごに残っていた半島北部の要衝・豊後高田市を走ってみたいと思います^
いよいよ最終日、名残惜しいですが・・
豊後高田市へ入りました
まずは街中からですが、この街”昭和のまち”で売り出しています。
どんな街なのか~^
商工会館横にある広い観光駐車場
駐車場隣に建つのが↑、昭和ロマン蔵
元・農業倉庫だったのをリメイクして観光拠点にしたもので、車で来たらまずここで情報収集するのもいいかも
”昭和の街”と銘打つのは、昭和期戦前からの建物やお店が多数現存しているからですが、Wo的には、まず『これこそ昭和の名残』が残っている場所を紹介したいと思います。そのあと街中へとご案内します^
・その場所とは~
まず見ておきたいのが↑、バスターミナルです。
現在は大交北部バスが使っていますが、ここは元々、鉄道の駅でした
現JR宇佐駅から、ここ豊後高田まで、大分交通の鉄道線がありました(※開業時は宇佐参宮鉄道)
並行する大交北部バスと同グループだったのもあり、1965(昭和40)年に廃止されています・
訪ねてみて、けっこう鉄道時代の原型をとどめているのに少々驚く。ホーム跡はほぼそのままバス乗り場に、そして線路跡はバスの走行路になっています
↑終端部も鉄道の頃の姿がハッキリ想像できます
留置線跡はバスの車庫に
そして↑、宇佐方面へ延びる道も線路跡なのが見てとれます・
全国的に、廃線になった駅跡をバスターミナルへ転用している例は沢山ありますが、そのほとんどは一旦更地にしてから改めて再整備しているので、このように旧駅跡を残しつつ利用している例は珍しいといえ.ます
そして、ターミナル内に、鉄道の頃の写真を展示しているコーナーがありました
沢山の乗客を乗せて賑わっていた頃の、まさに”昭和の駅”が写っています
もし現存していれば、走る鉄道記念物になってたでしょうね・^
駅前にあったタクシー会社の外壁にも、鉄道時代の写真が張ってありました
列車が来ていた頃の外観
↑雪の日に撮影されたというレアな写真
『こんな風景をもう見ることはできません』 と、惜別の思いを込めて書かれています・
ちなみに国東半島には他にも、シリーズ2回目に出てきた大分空港付近まで、現JR杵築駅から”国東線”がありました(1966年廃止)。
前作で言及した耶馬渓線も含めたら、現在私鉄が全くない大分県北部に3線も存在していた事になります・
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・では、”昭和の街”を歩いてみます
↑まだ朝なので買い物客の姿はありませんが、様々な業種のお店が現役で営業しています
一軒一軒に↑、お店の紹介や創業時のエピソード等を書いた案内板があり、興味深い
中にはお店独自の紹介をしている所もあり、↑の電気屋さんは漬物も置いてあるとの事w
建築年代が様々なお店が並び、歩くだけで楽しい街
たぶんこの界隈は戦争で焼けなかったんだと思われます・
創業100有余年という↑の和菓子屋さんは~
昭和期、アイスキャンデーを自転車で行商していたとの事
まさに"昭和"です^
↑の電気屋さんには~
お?!
高度成長期、庶民の憧れだった”3種の神器”の本物が!^
(※TV・冷蔵庫・洗濯機)
↑によると、1961(昭和36)年当時、公務員の初任給が約1万4千円の時代に白黒テレビがなんと15万円!
15万円の買い物って、現在でもかなり悩む額ですよね(笑)、でも当時、こんな給料の10倍もする”高嶺の花”が月賦を組んででも飛ぶように売れたそうです。「未来は今よりきっと良くなる」と信じることが出来た時代だったんです・
洋館建てもあります
↑かつて『共同野村銀行』だった建物(※国有形文化財)
当地には「野村財閥」と呼ばれた名家があったそうで、野村家が自分の金庫代わりに創立した(?)という凄い銀行w^^
戦時合併で野村銀は大分合同銀へ併合、またこの洋館には戦後、旧西日本無尽(※現西日本シティ銀行)が入りましたが、近年地元企業が買い取り、現在は街おこしの拠点として活用されています
先程のバスターミナル(旧駅)から、鍵形に延びる”昭和の町”
賑やかだった昭和30年代の商店街の雰囲気を少しでも取り戻したい・・、そんな高田の人の熱い想いが込められた街です・
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商店街が途切れ~
川へ出ました
橋が架かっています
市内を流れる、桂川です
この桂川を主な舞台に、豊後高田では大きな祭が年2つあります。
↑欄干に案内板がありましたが、一つは『若宮八幡秋季大祭』
夕闇のなか、祭礼用としては世界一の大きさといわれる大たいまつが灯され、若衆に担がれた神輿が桂川に入り、水しぶきをあげながら川の中を渡御するという勇壮な祭り
いま一つは↑、『ホーランエンヤ』
新年、大漁旗等で色鮮やかな”宝来船”が桂川にやってきて、秋の大祭と同じく若宮八幡まで船で渡御していく、漁業の安全&大漁を祈願するお祭り。川岸の観客から祝儀が川へ投げ込まれると、船から締め込み一本の男が寒中の川を泳いで受け取りに行くという、これも勇壮かつ華やかな祭りだそうです
早くコロナが収束し、2つの祭とも通常通り斎行される事を祈ります・
桂川の対岸にも、路面やお店の壁にトリックアートが描かれたりしている楽しい商店街がまだまだ続いていますが、あとは是非、コロナ収束後実際に訪れてみて下さい・
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お昼休憩を兼ねて、再びWo号に跨り、少し海のほうへ走らせます
本シリーズですっかりおなじみになった、国東半島を周回するR213ですが、豊後高田市の区間は”恋叶ロード”と愛称が付いています
そんな沿道にある↑、真玉海岸
この辺り海岸が北西方向をむいていて、日本夕陽百景に指定されている夕陽スポットです。↑SNS投稿用の枠も完備(笑)
行ったのが真昼間だったので夕陽は拝めませんでしたが、それにしても美しい砂浜!前々作の姫島の時も思いましたが、周防灘の美しさはホント天下一品ですよ^^
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真玉海岸からもう少し走ると、海に突き出た半島状の『長崎鼻』があります。”花とアートの岬”との名もあり、キャンプ場とかもあってちょっとしたリゾートになっています
長崎鼻への道に入ると~
沿道に咲き誇る花!花!それは・
ヒマワリがこの時期、畑いっぱいに咲いていました
これは凄いわ・・w^
↑長崎鼻の突端は、勿論岬の絶景です^
海と花に癒された、お昼のひと時でした・
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ついに、最終日の午後となりました。貴重なラストの時間は内陸へバイクを走らせ、国東半島旅にふさわしい総仕上げにしたいと思います
豊後高田市の山あいには、名刹が沢山存在します。
これからいくつか訪ねてみますが・
・国東半島を表す代名詞に、六郷満山という言葉があります
本シリーズで廻っています国東半島、ご存じ、九州からコブのように突き出ている半島ですが、そのコブの中心にそびえるのが両子山です。そこから放射状に海へ延びる谷筋に沿って6つの主要集落が形づくられ、”六郷”と呼ばれていました
国東、武蔵、伊美、安岐(※以上は現在の国東市)、田染、来縄(※現在の豊後高田市)、以上の6つの”六郷”には古来から寺院が多く築かれ、野仏や法塔が置かれ、或いは石仏が穿たれ、早くから仏教文化が花開きました
この基礎を築いたのが仁聞菩薩という伝説の僧で、8世紀頃、当地に28の寺院と6万9千体の仏像をつくり、半島全域に配置したと伝わるそうです。その伝えられる超人的な業は、宇佐の八幡神の化身とまで言われる伝説さえあるそうです・
平安期以降も寺院の建立はつづき、最盛期には65を数えたともいいます。そして、前作で出た宇佐神宮の八幡信仰や、古来の山岳宗教とも融合した独特の仏教文化が花開き、半島の寺院を巡礼する『六郷満山峯入行』も盛んに行われました。2018年には仁聞が開山して1800年の節目を迎え、歴史のロマンを今に伝える半島です・
Wo号に↑バッタがとまりましたw
・では、六郷満山の寺院、いくつか訪ねていきます
市内(昭和の町)から約10km内陸へ、ここは~
富貴寺です(※天台宗)
六郷満山の寺院群は本山、中山、末山の三つに分類され、各々の山が約10寺の本寺を擁し、その本寺がまた各々多くの末寺を持っていました。富貴寺は、六郷満山本山だった西叡山高山寺の末寺で、開創は前述の仁聞菩薩と伝わります。
風格ある仁王門をくぐります
厳しくも素朴な表情の仁王さんが出迎えてくれます
このお寺にも”宇佐神宮”の文字が・
黒ニャンコが受付してくれましたw
・そして、有料区域へ入ってすぐにあるのが・・
・本堂である『大堂』です。
本尊・阿弥陀如来が中におられます。
西国(※近畿より西)で唯一、かつ最古の阿弥陀堂といわれ、大変貴重な堂宇です。
国宝に指定されています
大堂の脇には国東塔
多くの法塔や石仏さんが大堂を守るように囲んでいます・
大堂の裏手から、↑内部へ上がる事も出来ます(※撮影は禁止)
本尊・阿弥陀如来としばし対峙しました・
味わいのある国宝・富貴寺大堂でした・
出る時、受付ニャンコは休憩中でしたw
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さらに内陸へ、つづいても寺院です
次は、真木大堂といいます。
真木大堂は、元々は伝乗寺という現存しない寺院から伝わる仏像等を今に伝える堂宇です。伝乗寺の在りし日は、広大な境内地をもち、七堂・三十六坊を擁する六郷満山の中でも最大級の寺院だったとの事(※堂のパンフによる)。しかし約700年前に火災で焼失したとの事で、詳細な史料は残っていない、謎多き寺でもあります
幸いにも、幾多の変遷を経て、9体の仏像が今に伝わり、江戸期に現在残る旧本堂が建てられ、各末寺に散逸していた9体をこの地に集めたものだという事です。
現在その9体は、↑戦後建てられた新収蔵庫に保管されています。
早速拝観します・
残念ながら内部は撮影禁止でご覧頂けませんが、↑カーテンの向こうには阿弥陀如来像や四天王像等、貴重な国重文の仏像が並び、間近に拝観する事ができます・
そして、↑前述の旧本堂も、現収蔵庫の脇に現存しています。
先程の新収蔵庫のカーテンにも施されてましたが、旧本堂の扉には菊の御紋が入っています。
(※↑額の両側の少し下、わかりますでしょうか)
九州へ蒙古軍が襲来したアノ元寇の際、鎌倉幕府→豊後守護職経由で、蒙古降伏の大祈祷を行うよう、当時六郷満山で最大級の寺だったこの伝乗寺に命が下りました。その恩賞として、朝廷から鎌倉将軍家を通じて菊花紋章の下賜をうけたとの事・
「幻の寺」といいながら、こういう伝承はちゃんと伝わっているんだなぁ~という気もしますが^^
新収蔵庫に居並ぶ仏像群、写真でお見せできないのが残念ですが、京都の東寺で仏像群を見た時と同じ位の迫力がありました。まさに豊後高田が誇る、世紀の文化財だと思います・
真木大堂の隣は、市立の「古代文化公園」になっています
シリーズ初回の杵築城にあったような、宝塔類や石仏さんを集めた一角があり、国東塔もつぶさに観察できます^
かつての六郷満山隆盛を今に伝える、真木大堂でした・
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そして、本シリーズさいごの訪問先です
大分県全域、そしてこの国東半島にも多数ある摩崖仏の中でも、その姿が秀逸と言われる、熊野磨崖仏です。
途中、磨崖仏のある山へむかう小径に鳥居が立っていました。
熊野磨崖仏は、今熊野山胎蔵寺の石仏とされますが、同寺は江戸期まで熊野権現の別当を務めていました。明治の神仏分離で熊野神社に分けられましたが、その関連の鳥居と思われます・
(※ちなみに、↑鳥居横の人物は「人」ではなく、マネキンでつくられた”リアルかかし”ですw
駐車場到着、ここからは”登山”となります
熊野磨崖仏の”熊野”、熊野権現信仰からきている事を前述しましたが、その起源は勿論、紀州の熊野からです。紀州からやってきた権現様はこの地域の人々に多大なご利益をもたらしたと伝わります(※受付でもらったパンフによる)
途中受付があり、拝観料を支払ってから登ります
杉の大木から木漏れ陽が注ぎます
もう一つ鳥居があり、そこから先が本格的な石畳の坂になります
↑この、荒々しい自然石の石段ですが、『鬼が一夜にして造った』という伝説だそうです
この伝説、僕のいつもの”ムー流”に解釈すれば、『一生懸命磨崖仏を穿っている人間に応援しようと、宇宙人(鬼)が道をつくってくれた」と想像しますがw^^
かなりの急坂で、しかも凸凹の.石段、大変でした
↑途中にあった句碑、.”信心を 石段で見る 磨崖仏”
たしかに・・w
・鬼が一夜でつくった石段を登る事約10分余、そして~
見えてきました!
お~~
ついに来ました!大分県が誇る磨崖仏の宝、熊野磨崖仏です
(※国重文・周辺一帯は国史跡)
同磨崖仏には主な躯体が2つあり、↑↓は不動明王像です。
不動明王といえば厳しい表情をしている像が全国的に多い中、ここ熊野磨崖仏の明王さんは、どこか柔和な表情をうかべています
威厳がありながら、慈愛をも秘めたこの姿に魅了される人は多いとの事で、僕も一目見て、引き込まれてしまいました^^
受付でもらったパンフによると、高さ約8m、胎蔵寺に残る記録では1168(※仁和3)年の書物にその名があるとの事なので、藤原時代末期の作と推定されるそうです・
また、この不動明王さんの右には、もう一つの主像があります。
大日如来像です
高さ約6.8m、静かな面持ち、そして鋭い視線で俗世を見つめているような表情が印象的でした。それでいてどこか安らぎをも覚えるような、こちらも素晴らしいお顔でした・
この両像の間にはほかにも小さな彫像がみとめられますが、経年劣化がすすんでいてはっきりとはわかりません。また近辺には、彫塑製作中に滞在していたとされる洞窟等も残っています・
僕がいた間、他の拝観者は来ず、石仏さんとしばし一人で対峙し、至福の癒しの時間を過ごしました・
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熊野磨崖仏がある田染地区には、↓のような風景もあるので、ラストに紹介しておきます
国道から外れ、少し走ると~
田染荘 中世荘園村落遺跡 と呼ばれる一帯があります
ここから見る田園風景は、全国屈指の美しさと言われています
(※国重要文化的景観)
お~~
まさに、日本の原風景(※月並な表現ですが^^)
・この光景が、単に美しいだけでなく、なぜ国が指定するほど重要なのかというと・・
この田園は、中世の荘園の頃の区割りがたぶんに今に引き継がれている、歴史的景観でもある、という点です
素晴らしい、旅の仕上げの風景でした・^
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全日程を終え、新門司港へ
往路と同じく、東京九州フェリーで帰京します
帰りの船は↑、はまゆう号です(※往路のそれいゆと内部はほぼ同じ、シリーズ第1回参照)
夜の新門司港を、思い出を載せたフェリーは名残を惜しみつつゆっくり離れていきます・
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【大峠を行く・第1章】としておおくりした”国東半島大ツーリング”、
全5作、これでおわります、長い間ご覧頂き有難うございました。
六郷満山・仏の里といわれる国東半島、まさに日本のふるさとのような奥深い魅力に包まれた半島でした
当別荘を以前からご覧のかたご存じのように、当別荘では全国の”神仏習合”の寺院等を度重ねて紹介してきましたが、その神仏習合のいわば『元祖の地』への訪問を今回果たせて感無量です
また、シリーズ初回の『サンドイッチ型城下町』・杵築や、シリーズ3回目で訪ねた離島・姫島、また前作での耶馬渓の絶景等、忘れられない光景がいっぱいでした
あと、今回の旅で改めて感じ入ったのは、国東に限らず『大分県全体』の魅力。かつて「一村一品運動」を全国に先駆けて実施し、いま各地方で熱心に行われている”街おこし”の本元が大分県です
今シリーズ2回目のラストで僕は”別府市の持つポテンシャル”について拙考を書かせてもらいましたが、今年春にupした豊肥線/久大線走破の旅で寄った三重町や由布院等、その際宿題になった竹田市、また臼杵や佐伯等の南部も見所豊富です。また、作中とは関係ない余談ですが、日程中一泊した大分市へ行く際、いつも日豊線の車窓から眺めていた別大国道を初めて自分のバイクで走り、感慨ひとしおでした
また遠くないうちに、大分県を訪れたいと思っています・
☆大分県関係過去作リンク↓
vol.102 大分・臼杵の石仏 | 旅ブログ Wo’s別荘 (ameblo.jp)
vol.364 冬の九州2021②熊本地震/豪雨応援 4年ぶり全線再開!豊肥本線に乗る | 旅ブログ Wo’s別荘 (ameblo.jp)
vol.365 冬の九州2021③ 大分豪雨応援 久大本線全線走破!由布院ブラ付き^ | 旅ブログ Wo’s別荘 (ameblo.jp)
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つづいて次作からは・・
【大峠を行く・第2章】が、場所をガラッと変えて始まります。
今シリーズと同じくバイクでの旅ですが、行先はホントにガラッと方向を変え、気分新たに始めます。年末もそろそろ近いので、少しマキを入れてw編集したいと思います。お楽しみに^^