E4系Max最後の二ヶ月〜追わなかった“大物”を追った夏⑩ | たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

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『縁は、連結する』鉄道など交通を中心に興味の赴くままに、日々呟き語るブログ。
※最近すっかり鉄道ルポタージュ化してますが、言いたいことを素直に言うという意味でブログタイトルは変えてません。

9月のE4系Max記録…の続き。

だいたい他の車両の時にもありがちなことだが、ラストランまで残り半月を切るくらいになると

急に撮影意欲が落ちてしまうことが往々にしてある。

まぁ今回は西武の甲種輸送だったり、お座敷列車の撮影と乗車などなど連休にはネタが目白押しで

しまいには相鉄から東急への甲種輸送もあるなど、なかなか休みになっても落ち着かない日が多く

致し方なかった部分は多様にあったのだけどね。

『相模鉄道21000系21101F、東急電鉄貸出に伴う甲種輸送①』来年度下期の全面開通を目指して、苦闘しながら建設工事が進む東急・相鉄新横浜線。相互乗り入れ計画に基づく保安装置等の改造工事や、8両編成化に伴う車両増備が活発に…リンクameblo.jp

そして、そのままE4系とも終わってしまうのか…と思われた9月23日木曜日、秋分の日、祝日。

相鉄21000系の東急への甲種輸送を撮り終えた後、PC周辺機器のパーツを買うために急遽秋葉原へ

赴いたことが発端となり、気分を変えて帰りに東京駅へふらり訪れての撮影へ。

Maxとき326号からMaxとき333号に折り返す、16:28から16:40の12分間の記録となった。

16:28、定刻通りに東京駅21番線に到着。

入れ替わりに22番線からE5系が回送で発車していく。


定期運行ラストランまで10日を切り、さすがに親子連れを中心に撮る人が増えてきていた。


8月1日の昼の時は北側のみでしか8両編成を撮影できなかったので、南側で編成撮影は唯一。

しかしそれも、僅か3分ほどでまたE5系が22番線に入ってきてしまう。

分刻みで緻密な出入りに、改めて感服しつつホームを移動。


前に後ろに、ギャラリーが集まりとても賑やか。


ギリギリまで車内清掃は続いている。


子供たちの動きに肝を冷やしながら、少し引いて賑わいを眺めて。


16:40、発車を見送ってこの日の撮影はサックリと終えた。

既に相鉄の甲種輸送撮影で大半のHPを消費していたからだった。


東京駅の係員のいる改札口も、特別掲示でラストランを盛り上げていた。

とにかく今回はJR東日本の新幹線としては、稀有な規模のラストランイベントとなっていた。

コロナ禍で臨時運行が一部中止されるなどの影響が出ていたものの、その熱さは夏の熱気にも似て

かなりホットで、その刺激はずいぶんと受け続けてきた。


…そして、その仕上げをついに、自分の中でも行う時がやってきた。


こんなものを、ついに。

意外なことに、初めて購入。

まずは前哨戦を、一日仕事を挟んで仕掛けることにした。


9月25日

「週末パス」適用初日。

この日、自分の身体は熊谷駅にあった。


当初は高崎か本庄早稲田に行ってみようか…と考えていたのだが、本庄早稲田駅で配布されていた

ポストカード2種類のうち1種類がなくなってしまったのと、武蔵野線で向かう途中に西武の撮影で

いつもお世話になっている方と偶然遭遇し、電車内であれやこれや話をしているうちに急遽行動を

共にして、熊谷駅に降りてみることに決めたのだった。

これまで熊谷界隈は意味なくスルーをしてきたから、ちょうど良い行動パターンだった。


熊谷は何回か秩父鉄道との乗り換えで利用はしていたものの、ちゃんと降りたことはなかった。

いざ降りてみて、ラグビータウンを前面に押し出している様子を目の当たりにして胸が熱くなる。

実は余談ながら、母方の叔父は県立熊谷高校に在学中にラグビーを始めていて熊谷とは縁が深い。

後に早稲田大学に進学して日本代表となり、代表監督や協会強化本部長も歴任した偉大な叔父…

このような風景を、今もし生きていたらどのような思いで見つめるのだろうか…と想いを馳せた。


…まぁ、あの叔父のことだからニカッと笑っていそうな気はするんだけどね。

亡くなってからはや15年余り、流れる時間の速さは新幹線にも似てまた切なく…


そんな熊谷駅も、E4系Maxラストランに向けて俄かに展示物が賑わいを加えていた。

コンコースに展示されていたNゲージやプラレールは、社員の私物なのだろうか??


もっとも、その賑わいはきわめて限定的ではあったが…

ただ、ここのとこの各所の半ば狂気がちらつくものから離れ、穏やかに列車の到着を待つことに。

その時間は翌日に向けて、良いウォーミングアップになっていたのは確かだった。


8月〜9月ここまでの記録