10月に入っても暑い日が続いてますが
週末あたりから気温が急激に下がるらしい
そろそろ夏から一気に冬支度なの?
5月の別子銅山以降、何処へも出かけず
JRも丸一年乗ってない(」゜ロ゜)ナント
いつの間にか令和3年も10月半ばとなり
天高く馬肥える秋
(訂)天高く馬肥ゆる秋(;^ω^)
物置を整理してると古いアルバムが出てきた
昭和55年梅津寺海岸遠乗りって・・・
ずーと前に数枚だけデジタル化したけど
何十年振りかに見る懐かしい写真の数々
梅津寺海岸は三津浜港と高浜港の間にあって
1899(明治32)年伊予鉄道梅津寺臨時停車場開場と伴に海水浴場が開設されました
海水浴場の臨時駅ってJR四国にもあったな
JR牟岐線 田井ノ浜駅(徳島県) 2019年
探訪日:2019年8月4日
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明治37年発行の高浜清(虚子)による
「松山道後案内 附伊予鉄道の栞」を開くと…
【梅津寺臨時停車場】
梅津寺の浜は高浜の南5丁の処にある。前に広々とした海をひかえて一帯の松林の陰に一宇の小寺がある。浪はすぐ前の平砂に打ち寄せて白帆は手に取るごとく見える。平生はここへは停車せんのであるが、毎年海水浴の時候には臨時に停車場を設けて、殊に汽車の割引切符を発売し、臨時列車を増発するために、無数の海水浴客はこの寺に集まるのである。この頃は寺ばかりでは狭隘を感ずるので砂原に多くの休憩所もでき、無料で休憩することになっている。また松原の中に種々な運動の器具も備え付けてある。海は非常に遠浅で最も海水浴場たるに適して居る。
(明治37年版、昭和58年復刻)
遠乗りで訪れた翌年の梅津寺海水浴場の様子もYouTubeにあったよ〜
今はない梅津寺海水浴場(松山市)
昭和56年8mmテレシネ 6分25秒
石崎汽船の水中翼船(松山-三原航路)や納涼台も背景に映り込んでいる
マグニフィセント号
アングロアラブ ・鹿毛・牡・年齢不詳
颯爽と歩く鹿毛の馬はマグニフィセント号
我が部の最高齢馬(推定18歳位)だったけど
故障も少なく、タフなナイスガイでした
梅津寺の対岸には
標高282mの興居島の小冨士山が美しく聳えており
伊予小富士と呼ばれてる
瀬戸内海航路では
この山が松山港入港の目標地形となってるみたい
正岡子規もこの小冨士山の風景を好み
「雪の間に小冨士の風の薫りけり」と詠んでいます
この句は、明治25年7月15日に子規が高浜虚子宅を訪問し
河東碧梧桐も加わり三人で高浜の延齢館を訪れ、
その一室の「雪の間」で詠んだものなそうな
梅津寺パークの観覧車左に写ってる海に突き出た構造物は
1930(昭和5)年に伊予鉄道が建設した納涼台
海水浴客の増加で、平屋建てのものを
1952(昭和27)年に2階建てに改造したそうですが
遠乗りの写真では2階建てにはちょっと見えないなぁ~
当時(昭和50年代)の写真で検証すると
やっぱり平屋に戻されてるみたい
海水浴の客足が減ったからかもね~
そして1984(昭和59)年の夏を最後に廃止されました
しばらくは台座がそのまま残ってたみたいだけど
現在は全て撤去されており、痕跡もありません
残念ながら梅津寺海水浴場も
梅津寺パークとともに2009(平成21)年に閉鎖され
1899年以来の長い歴史を終えました
納涼台はこんな感じで海に向かって突き出ていました
(地理院地図は現在のものです)
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そして、遠乗りの日から11年後に
あるドラマのロケがこの近辺で行われました
そうです
東京ラブストーリー最終話(第11回)
Amazon Prime(お試し期間中)で
全11話を一気に観てしまいました(;^_^A
この記事に利用しようと何十枚もスクショしましたが・・・
編集しようとしてΣ(・ω・ノ)ノ!
さすがアマゾンさん
スクショ出来なかったのね!
みんな真っ黒け ガ―(´・ω・|||)―ン!!
あらためてスマホでPC画面を撮り直しの愚行に至ります
このドラマは11話全部観たものと思ってましたが
あらためて観直すと、初回と最終回しか覚えて無かったよ(^^;;
赤名リカがカンチにとって受け止めきれない女性のように思ってたけど
実は優柔不断なさとみちゃんとカンチの心変わりだったのね~
リカの本心はロスには行きたく無かったけど・・・
って感じやね
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梅津寺パーク横のテトラポットにて
赤名リカと永尾完治
「顔に書いてるよ もう君じゃないんだってさ」
とリカ
「リカ!もっと楽に生きろよ!」
とカンチ
「16:48発の電車、それまでに気が変わったら来て!
あと1時間!逢いたいから、さよなら言わないよ」
とリカ
納涼台跡付近で電車の発車時間ギリギリまで悩むカンチ
カンチが台座の先端に立ってるけど・・・
結構細くて遠い
スタントマンだろうか?
それとも踏み板を敷いての撮影かな
しかし、リカはホームに居なかった
発車間際の車両の中も確認したけど居ない
駅員に尋ねると・・・
その女性なら、1本前の16:33発の電車に乗ったって!
2番ホームの柵には
バイバイカンチとルージュで書かれたハンカチが結び付けられていた
ルージュの伝言やね(^◇^;)
高浜線の横河原行(下り)の (訂)高浜行(上り)の
16:33、16:48のダイヤは今もそのままあるらしい
JRみたく、ダイヤ改正せんのか~いw
【追記】
m(_ _)mスマヌ
9時から20時まではパターンダイヤ化され
下りは00, 15, 30, 45になってます
(3分づつ早くなってます)
【訂正】
m(。≧Д≦。)m モウシワケナイ
今もそのままありました!
リカが乗った電車は逆の上りで高浜行でした
同じく9時から20時まで03, 18, 33, 48で
今もそのままです
リカの電車内のシーンにカメラが切替わる場面で
電車は松山方面に向かってたので
横河原(松山)方面に向かってると刷り込まれてしまった💦
あらためてみなおすと
16:48の電車の発車のシーンでは
カンチが梅津寺駅に着いた時点で電車は既に入線しており
高浜方面へ発車していく上り列車でした
リカは飛行機じゃなく
三津浜港でもなく、松山観光港から帰ったのか
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芝門ふみさん(徳島県出身)原作のこのドラマでは
カンチをはじめ、関口さとみ、三上健一は愛媛県出身の同窓生
最終回ではみかん県の各地でロケが行われました
梅津寺駅2番ホームの柵には
今でもハンカチが結ばれることがあるという
みんな別れたいんやね?(笑)
瀬戸内を中心に活躍するアイドルグループSTU48のデビュー曲
『瀬戸内の声』のロケ地にも採用
【MV full】瀬戸内の声/STU48[公式] 6分21秒
瀬戸内の各県でロケされたシーンがMVで登場するんだけど、
愛媛県では梅津寺駅のみ登場?
亀老山公園も映ってた
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古町駅からの鉄道線の一部が付け替えられて大手町線と直結
(国鉄松山駅の開業当時は手荷物輸送のために高浜線の古町駅から鉄道線が松山駅構内に乗り入れていたらしい)
この地図には古町から国鉄松山駅を経由して
西堀端への軌道線が載っているので
さらに絞り込んで、1936(昭和11)年以降となり、
1936~1939年の4年間と推測出来ました
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因みに国鉄松山駅は
鉄道省の讃予線(昭和5年に予讃線と改称)として
国鉄の県庁所在地の駅としては日本で最も遅く
1927(昭和2)年4月3日にようやく松山に達します
上の伊予鉄路線図を見てもわかるように
この時、既に伊予鉄の松山駅を中心に松山の市街地は形成されており
当時、住友の幹部が新居浜に赴任してきた際
どの家族も一様に新居浜駅を見てあまりの田舎ぶりに唖然とし、
主人は新居浜に左遷されたんだと落胆したそうな(笑)
因みに住友さんは伊予鉄道の大株主で
1911(明治44)年に住友別子鉱山鉄道の上部線が廃止になった際には
余剰となった蒸気機関車3両が伊予鉄道に譲渡されました
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梅津寺海岸への遠乗りは一度だけでしたが
堀江海岸には毎年訪れました
同じ年の夏、1980年8月24日
堀江海岸にて伯麗号
翌年の1981(昭和56)年は9月に遠乗りしたみたい
引き潮で沖合に出来た砂の島まで
マグに乗って渡ったのはいいけれど…
上陸後に下馬して佇んでいると
フェイントかましてマグは
私を残して泳いで陸に戻ってしまいました
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馬は常歩(なみあし)、速歩(はやあし)、駆歩(かけあし)の3種類の歩き方をします
そして各歩度は尋常、短縮、伸長の三つの変化をさせることが出来ます
常歩は最も遅い歩き方で、1分間に約100m、速歩は210m、駆歩は320m、伸長駆歩420mが標準の速度となっています
1983(昭和58)年元旦は、6頭連ねて初詣へ
常歩と時に軽速歩を交え乍ら
目的地目指してパッカパッカパッカとのんびりと進みます
2016(平成28)年7月31日 大規模訓練場
堀江海水浴場の右にある堀江港
ここは1946(昭和21)年に国鉄の仁堀連絡船が開通し
堀江-仁方(広島県呉市)間を結んでいました(昭和57年に廃止)
また民間の呉・松山フェリーも就航しており
2度ばかり利用したことがありますが
この航路も2009(平成21)年に廃止されました
航路廃止後は休憩施設や係留設備が整備されて
海の駅「うみてらす」が2013年にオープンしたそうな
ここには現在も、みなと食堂が健在で
一度訪ねて中華そばとおでんを食べてみたいと思います
当時の大会プログラムを見てみると
第10回四国馬術大会に四国中央市からも2つの団体がエントリーしてる
旧川之江市の鈴木愛馬会(2名、1頭) と旧伊予三島市のえひめライディングクラブ(4名、5頭)
所在地は川之江市上分町と伊予三島市上柏町城になってる
現在は活動してない様だけど
残念ながら解散してしまったのかな?
長くなりましたが
最後までご覧いただきましてありがとうございました
では、また
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