私が中3の春に東京から九州の大分に引っ越したのが1972年4月、
ちょうど鉄道開業100周年の年でした。
来年2022年で150周年になるのですね。
その頃から本格的に一眼レフで撮影を開始しました。
私の祖父の熊本の家には本格的な暗室がある環境でしたのでその血筋を引いたのかな。
私の代で途絶えてしまいましたが(^_^;)
当時撮影した写真を残しておきたい。と思いもう5年位前になりますが、
キャノンギャラリー銀座で開催された諸河久さんの写真展「モノクロームの国鉄蒸気」を見に行きました。
それはそれは非常に美しく素晴らしいものでした。
その場で本を購入して、同じ思いが通じたのか詳しくレクチャーしていただきました。
それは4×5のモノクロフイルムを直接デジタル一眼カメラで段階露出で接写撮影して
撮影したRAWデータをキャノンDPPソフトでHDR合成していました。
機材は5年前でしたのでEOS5Ds、EF100マクロレンズでした。
未だ今の私のレベルではスキャナーで取り込んで付属のソフトで処理するのが精いっぱい(^_^;)
表紙と同じ様な写真を見つけましたよ(^_^;)
1973年08月21日の撮影だと思います。
高校1年生の夏休みの私です。
吉都線に乗る前の都城ホームだと思います。時代を感じますねー
SL撮影旅行で白い服かい!?って約50年前の自分に突っ込んでいます(笑)
会社に入る前まではウエスト67cm体重47kgと50kg下回っていました。
今は・・・・、
別人会っても分からないと思います(笑)
70kgを超えないように努力しています。
約50%増量とお買い得ですよ~
ちょっと腐りかけていますが(笑)
骨格からいえば、ここまで戻せるって事ですかねー
後ろに写っている機関士さんが、乗って撮っても線路に降りて撮っても良いよと声をかけてくれました。
おおらかな国鉄時代です。
私は少ない貴重なフィルムで慎重に2枚撮らせていただきました。
客629レ
これに乗車して小林の親戚の家に泊めてもらった記憶があります。
当時の[SLダイヤ情報]だとD51運用でした。
それが旅客用のパシフィックC55が先頭に付いていたのですから、テンション↑↑です。
自分の背丈より大きいスポーク動輪を目の前にして撮影出来興奮した記憶があります。
この写真もスキャナーで取り込んで付属ソフトで修正してHDR加工を施して階調を出していますが、
まだまだ諸河さんの足元にも及ばない。
で35mmネガやリバーサルフィルムがあるし機材もEOSR5とEF100マクロがあるからと思い
先ずモノクロネガフィルムからとファイルを開くと強烈な酢酸臭、
しかもファイルビニールカバーに貼り付いているネガも・・・・
当時自家現像(フィルム現像を自分でおこなっていた)のが仇となってしまいました。
流水不足ではと思い、やめときゃ良いのに約50年ぶりのフイルムの水洗い
結果は・・・・
あーぁ
DF50が・・・・
この後のD51のコマもダメにしてしまいました(^_^;)
この後乾燥したら丸まってしまって修復不可能な状態に( ノД`)シクシク…
因みに黒い×は我が家のガラスで防音ガラスになっています。
現在、ショックを受けて次の接写のステップに移れていません。
来年の鉄道開業150周年までにはどうにかしたいですね。
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