東京23区内の路線バスではトップクラスの長距離路線で東急バスの路線としては最長となる「東98」系統(東京駅南口~等々力操車所)が、11月1日より大幅に縮小され、現行の全区間通し運行は朝夕のみになり、日中は東京駅~清水(東急バス目黒車庫)までの運行になります。
直ちに路線自体が廃止になる訳ではないのですが、このままだと今後も縮小して最終的にはなくなる可能性もあるので、改正前に全区間を乗り通してみました。


乗り場は東京駅の丸の内南口で、今回は11:35発のバスに乗車しました。
東京駅を出ると、国際フォーラム前で皇居方面へ右折、その後日比谷公園の脇や霞が関の端、虎ノ門ヒルズ、東京タワーのそばを通って赤羽橋で桜田通りに出ます。


この先で慶應義塾大学前、白金高輪駅、白金台駅を通りますが、白金高輪駅と白金台駅の間の停留所が「清正公前」です。白金高輪駅の開業前の仮称は「清正公前駅」で、元々都電の停留所名でもあった経緯からほとんど仮称通りに決まりかけていて、車両の行先表示もそれで用意していたそうですが、清正公の覚林寺(加藤清正を祀っている)の所在地が白金台であることから、駅の所在地が白金と高輪の境界付近なのにこれはおかしいなど異論があったりし、双方の住民感情を考慮してか結局は所在地の地名を2つ並べた現行の駅名になったということがあります。
地名を並べた駅名よりも、名所旧跡由来だったり歴史の重みを感じる駅名の方が個人的にはいいと思ったのですが、もし地下鉄の駅名が清正公前になっていたら、こちらのバス停の名称はどうなっていたのでしょうね。
そして清正公前交差点からは、終点間際までひたすら目黒通りを直進します。
その後は目黒駅に到着すると、時間調整で数分停車の後に発車。
目黒駅を出ると権之助坂を一気に下って目黒川を渡って山手通りを越えると再び坂を上がり、この途中に「元競馬場」というバス停があります。
目黒通りの南側にかつて目黒競馬場があり、競馬場跡地は普通の住宅街になってしまったのでぱっと見の面影はないのですが、地図で見るとここが競馬場のカーブだったのだなというのがよく分かる道があります。今回は途中下車していませんが、そのうちここも歩いてみたいものです。
そして、11月より東98系統の日中の終点となる清水に到着。ここが目黒車庫の最寄り停留所です。旧町名が清水町だったことに由来する名称で交差点名も同じですが、現在の町名は目黒本町になります。


反対側に停車中のバスはリバイバルカラーの車両でした。
この先で下り坂となり、鷹番、碑文谷を通過し、柿の木坂陸橋で環七通りを越えます。
この辺は高級住宅街としても知られる場所ですが、そういう場所柄なのか目黒通り沿いにベンツ、ボルボ、マセラティ、ランボルギーニと、外車ディーラーが4つ並んでいたのが印象的でした。
そして都立大学駅付近で今は暗渠になっている呑川の中根橋を通過すると再び上り坂になり、自由が丘の高台を抜け、目黒区から世田谷区に変わったあたりから徐々に緑も多くなってきて終点が近い雰囲気になってきました。また、乗客も徐々に減っていき、玉川神社から先はついに私一人だけになってしまいました。
そして、玉川神社の先で目黒通りから側道に入って坂を下り、陸橋の下を潜ると等々力駅前になります。


終点の等々力操車所は駅前の一つ先の停留所になり、ここで東98系統を完乗。所要時間は65分で、道路渋滞があったりするともっと時間がかかる可能性もありますが、思ったよりは短い乗車時間でした。

等々力操車所でバスを降りた後は周辺を散策。
駅近くに畑があったり、駅前に茅葺き屋根の家があったりと、東京駅からバス1本で結ばれているとは思えない長閑な雰囲気がいいですね。

そして東急大井町線の等々力駅前に出ました。ここは立体化されていないので踏切があり、駅舎も昔ながらの構内踏切のある駅ですが、構内踏切の上下線の線路の間に券売機と改札口があるという独特の構造です。


橋上駅舎でない古い駅だと相対式ホームで上下線が別になってそれぞれに改札があるものや、構内踏切があって線路のどちらか片側に改札が寄っている駅が多いと思いますが、島式ホームで中央の地平に改札があるという駅は珍しいと思います。

その後は駅近くの「定食屋石榴」という店で日替わり定食を食べてから等々力渓谷を散策。


23区内であることを忘れさせてくれる自然が広がっていたり、大小様々な祠やお堂など寺社仏閣関連の見どころも多かったりで、なかなか充実した場所ですね。

等々力渓谷を抜けた後は、多摩川との合流地点まで川沿いを下ってみると、多摩川へと繋がる水門付近から対岸の少し遠くに武蔵小杉の高層ビル群が見えました。


また、清正公前から目黒駅前などを通過する大通りの目黒通りは、環八通りを越えた最後のほうは徐々に細くなっていき、都心部では大通りだった様子が嘘みたいな細くて交通量も少ない道路になって土手沿いの多摩堤通りに突き当たって終点となりますが、実はこの先も多摩川を渡って川崎方面へと整備される計画があるそうで、「等々力大橋(仮称)の整備事業について」という看板が立っていました。
この先の神奈川県内の道路は、「宮内新横浜線」という名称で計画はあるも途切れ途切れで全通はしていないそうですが、最終的に全面開通すると新横浜駅まで1本の道で結ばれるそうです。
また、多摩川の流路変遷の名残で川崎側にも等々力という地名があり(今は川崎フロンターレ、Jリーグ発足当時はヴェルディ川崎のホームグラウンドの等々力競技場が有名ですね)、川で分断されていて今は直接結ばれていませんが、これができると両岸の等々力が直接結ばれることになります。


その後は等々力渓谷公園の一角にある日本庭園を見てから渓谷に戻って来て、ここの不動の瀧の横にある甘味処「雪月花」で小休止し、あんみつを食べました。
川が見える窓際の席がちょうど空いていたのがよかったし、こういう場で食べると不思議と美味しさが増しますね。


等々力渓谷から戻ってきた際に、駅前で細い道を入っていくバス(日野ポンチョ)が通り、何だろうと思ったら「(等01系統)玉堤循環タマリバーバス」という世田谷区コミュニティバスで、運行範囲は狭いけど気になる路線でした。


そして帰りも等々力操車所から東京駅まで東98系統を利用。
疲れて寝てしまいましたが、行き同様に帰りも渋滞なく東京駅までスムーズでした。

今回の日記、その他写真は、こちらにもアップしております。
(1)http://blog.livedoor.jp/silkroad_vx/archives/11019861.html
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