みなさんこんにちは!よしひろよしちゃんです。
今回は信楽高原鉄道信楽線についてご紹介します。
●信楽高原鉄道信楽線とは
滋賀県の貴生川駅から信楽駅までを結ぶ信楽高原鉄道の鉄道路線です。
かつて信楽高原鉄道信楽線は国鉄(現在のJR)信楽線でした。
1922年に鉄道敷設法(全国各地に鉄道路線を広げる法律)が公布され帝国議会で(草津線)貴生川駅から(関西本線)加茂駅までを結ぶ路線の区間げ建設線に編入されます。
1933年に貴生川駅〜信楽駅間で開通しますが、1943年に武器生産に必要な金属供出のため不要不急線になりバス路線区間となります。そして1947年に運行再開をしますが、特定地方交通線第一次廃止対象線区の対象になり1987年4月の国鉄分割民営化で半年弱JR西日本の路線となり9月に第三セクター化され滋賀県が主に株を所有する信楽高原鉄道信楽線となり現在に至ります。
なお残りの予定区間の信楽駅〜加茂駅間は現在も繋がっていません。起点または終点のどちらかが他の路線に接続していない行き止まりの路線、盲腸線となっています。
国鉄再建法(特定地方交通線廃止対象線区の選定)は輸送密度を基準に廃止路線を選定していたため、通過需要の少ない盲腸線は輸送密度の計算において不利だったそうで信楽線が国鉄(現在のJR)存続はできなかったのでしょうか。
★信楽高原鉄道信楽線 貴生川駅
当駅では草津線と近江鉄道に乗換できます草津線、草津駅方面と対面乗換ができかつては、国鉄(JR)の路線だったんだと感じることができます。
★貴生川駅 乗車駅証明書発行機
★貴生川駅 乗車駅証明書
貴生川駅では、JR西日本と共同駅となっていますが、切符売場にはJRの切符しか売られていません。信楽高原鉄道信楽線に乗る際は、改札口の向かいにある乗車駅証明書発行機で発券しそれをJR西日本の係員またはインターホンで証明書を提示して改札を入ります。
反対に信楽高原鉄道信楽線から改札を出る際は、車内で精算し精算済証明書を運転士からもらいそれをJR西日本の係員またはインターホンで証明書を提示して改札を出る形となります。
●近江鉄道とJRの改札は別々のため近江鉄道から乗り継ぎの場合は、上記方法で乗車します。
★信楽線ホーム 簡易改札機
JR西日本線から信楽高原鉄道信楽線に乗り換える場合、この簡易改札機に乗車券等を通します。そして信楽線の列車内で整理券を取り降車する際に運賃を支払います。
反対に信楽高原鉄道信楽線からJR西日本線に乗り換える場合、車内で精算し精算済証明書を運転士からもらいそれを車内または降車する駅で証明書を提示して差額(JR線で利用した運賃)を支払います。なおJR線でICOCAなどのIC乗車券を利用する場合は信楽線ホームにある簡易改札機に通します。
※信楽線内ではICOCAなどIC乗車券は利用できません。
なお信楽線内は信楽駅以外、車内精算となっています。乗車時に整理券を取り降車時に運賃を支払います。信楽駅では改札口の係員に支払います。
それでは信楽高原鉄道信楽線で活躍する車両をご紹介します。
★SKR310形
SKR300形の改良版として製造された車両です。富士重工業製レールバスのLE-Carボギー車版LE-DCであります。
SKR311型と312型の2両が所属しています。
★SKR400形
新潟トランシス製NDCシリーズで車内はロングシートになっています。
SKR401型の1両が所属しています。
★SKR500形
外観はSKR400と同じで、違いは転換クロスシートになっていることです。
SKR501型の1両が所属しています。
計4両が信楽高原鉄道に所属しています。
現在、信楽線はスタフ閉塞式で貴生川駅〜信楽駅間を1閉塞としているので、どの時間帯も列車は1本しか走行しません。普段は1両または2両編成で走行します。SKR310形同士、SKR400形とSKR500形とは連結できますが、そのほかはできない仕様だそうです。
このほか、かつて信楽高原鉄道で活躍した車両が和歌山県の紀州鉄道で活躍しています。
★SKR200形(現KR205形)
信楽高原鉄道としては、初代の形式車両です。
JR西日本から信楽高原鉄道に移管する際にSKR201形〜204形の4両を導入しました。
SKR202形とSKR204形は後ほど詳しく紹介します。信楽高原鐵道列車衝突事故の当該車となり廃車に不足分を補うためにSKR205形を導入し後にSKR201形とSKR203形は老朽化のため廃車になりSKR205形は事故後に導入した車両で比較的新しかったため、信楽線では2017年まで活躍し紀州鉄道に譲渡され2021年現在、元気よく活躍しています。
なお形式のSKR(S=信楽 K=高原 R=鉄道(レールウェイ)という意味でSを消してKR(K=紀州 R鉄道)となり活躍しています。
★SKR300形(現KR301形)
当列車も信楽高原鐵道列車衝突事故の当該車となり廃車に不足分を補うためにSKR301型の1両が製造され2015年まで信楽線で活躍し紀州鉄道に譲渡されSを消してKR301型となって活躍しています。
信楽高原鉄道信楽線開通から形式はSKR200形.SKR300形.SKR310形.SKR400形.SKR500形となっています。今なら運が良ければ歴代車両を全て撮影することができるのです。
また信楽高原鉄道信楽線になる前、つまり国鉄(JR)信楽線だった頃はC62.C58蒸気機関車やキハ52.キハ58気動車などが活躍していたそうです。
それでは旅をはじめます!
★貴生川駅 ホーム
起点の貴生川駅を出発、信楽線は元々国鉄(JR)の路線ですが、現在はJR草津線と線路は繋がっていません。理由については後ほどご紹介します。
次駅は紫香楽宮跡駅ですが、なんと距離が9.6kmもあります。信楽線の全長が14.7kmですから貴生川駅〜紫香楽宮跡駅間で既に路線の半分を通ったことになるのです。
山をどんどん昇っていきます。信楽線にはトンネルはなく曲線で建設されているため、急カーブになかなかの勾配です。最大33‰の勾配だそう。つまり1kmの間に33m上がってることになります。
★小野谷信号場跡
貴生川駅を出発して6.5kmの場所にかつて小野谷信号場がありました。信楽焼の産地である信楽にて世界陶芸祭が行われることになりますが、全線一閉塞のため途中駅に列車交換設備のなかったので輸送力増強のため設置されますが、これが悲劇のはじまりとなってしまうのです。
この頃、信楽線はJRの路線から切り離されていましたが直通列車はありました。そのため信楽高原鉄道とJR西日本が共同で信号場建設を行い特殊自動閉塞となりますが、認可後にJR西日本と信楽高原鐵道がそれぞれ無認可でこの信号設備を改造し、報告しなかったことで信号機に不具合が起こります。
そして1991年5月14日にJR西日本が運行する臨時快速(世界陶芸際しがらき号)京都発、信楽行(キハ58 3両編成)と信楽高原鉄道が運行する普通 信楽発、貴生川行(SKR200形 2両編成)が正面衝突し42名が死亡、614名の負傷する大事故が発生しました。
この事故を詳しく説明すると難しいので、ここでは簡単に説明させていただきます。
詳しく知りたい方はWikipediaなどをご覧いただければと思います。
無認可でこの信号設備を改造し、報告しなかったことで信号機に不具合が起こり、待機するべき対向列車が来ないのに青信号でJR西日本の運転士が列車を進め、信楽高原鉄道の運転士が赤信号にもかかわらず列車を強引に出発させたことで事故が発生しました。
事件後、信楽線は7ヶ月間運休となり再開後は現在まで至る、スタフ閉塞式に戻され当信号場は休止され1度も復活することなく2018年に廃止されました。その後も設備は残っていましたが、2021年頃には完全に撤去されました。
★信楽高原鐵道列車衝突事故現場
小野谷信号場跡から約3分走ると信楽高原鐵道列車衝突事故現場の前を通過します。
すごく見通しの悪いカーブで突然前から列車が現れたのでしょうか。考えると恐ろしいです。
★ 信楽高原鐵道列車衝突事故 慰霊碑
信楽高原鐵道列車衝突事故現場及び慰霊碑は、紫香楽宮跡駅から徒歩約5分の場所です。
なお事故関連の部品などはここではなく、信楽駅に展示されています。
★紫香楽宮跡駅
貴生川駅から約14分、最初の駅に到着です。
駅周辺には、駅名の通り史跡紫香楽宮跡(甲賀寺跡)があります。
なお当駅はJRから信楽高原鉄道に譲渡された際に開通した駅であります。
ここからは、駅間がそこまで長くはありません。普通に歩ける距離です。
紫香楽宮跡駅から0.6km走り雲井駅に到着です。
★雲井駅 駅舎
国鉄信楽線開通当初から使われている駅舎です。開通当初は、貴生川駅・雲井駅・信楽駅の3つしか駅はありませんでした。貴生川駅と信楽駅は駅舎が建て替えられているので、国鉄信楽線開通当初から残る唯一の駅舎で貴重な鉄道遺産ですね。
★雲井駅 駅舎内
レトロな雰囲気です。改札口などは特になく待合室があるのみです。
★雲井駅 ホーム
かつては、貨物輸送も行われており貨物用のホームも一部残っています。
信楽高原鉄道では扉が閉まる際(出発時)に必ず警笛を鳴らします。高原鉄道だけあって警笛は響き渡り、紫香楽宮跡駅〜信楽駅間は長くても駅間が2km程度なので、耳を澄ませると前駅を出発する際の警笛が聞こえます。
さすがに貴生川駅出発の警笛は距離がありすぎて聞こえないけど笑
雲井駅を出発し2.2km走ると勅旨駅に到着します。勅旨駅は国鉄信楽線時代(1963年)に開通しました。
勅旨駅を出発して1km程で、玉桂寺前駅に到着します。
玉桂寺前駅に到着する少し前に渡る橋、第一大戸川橋梁は2021年5月に重要文化財に指定されました。
1953年、集中豪雨により、3連の上路鈑桁であった橋が流出してしまいます。そこで中間に橋脚をつくらないスパン30mの橋を作ることになり1954年に竣工した日本初の本格的なプレストレスト・コンクリート橋であるため大変貴重であります。
★玉桂寺前駅
第一大戸川橋梁は、玉桂寺前駅から徒歩約5分の場所にあります。また駅構内から吊り橋が見え大変美しい景色となっています。
玉桂寺前駅から1.3km走ると終点の信楽駅に到着します。
★信楽駅ホーム
2面2線の駅ですが使用されているのは、終日駅舎側の1番線のみとなっています。
2番線にはたくさん、信楽狸が飾られています。ですがまだ驚くのははやいですよ!
★信楽駅 出札所
乗車券は主に券売機で販売されますが一部、硬券や補充券などで購入できます。
★信楽狸(5m)
駅舎前には、5m程ある信楽狸が飾られています。これはびっくりです笑
信楽駅舎内では、信楽狸や信楽焼などお土産が販売されているほか、先程記載した信楽高原鐵道列車衝突事故の関連部品や資料などが、展示されている展示室(施設名 セーフティーしがらき)があります。
★セーフティーしがらき
ネットなどで信楽高原鐵道列車衝突事故などと検索すると事故の写真が出てきて、大きな事故だったことが実感できますが、やはり現物を見るともっと実感できると思います。
★世界陶芸祭しがらき号 ヘッドマーク
当事故が発生するまでは、臨時列車などJRと私鉄や第三セクター鉄道間の直通運転は数多く行われていましたが、事故を契機になくなっていきました。
また直通運転する路線でも相手先まで乗務員がそのまま乗務することは、ほぼなくなり自社線のみ乗務つまり会社の境界駅(社境駅)で運転士が相手会社に交代することが多くなりました。
なお現在もJR西日本では、智頭急行や京都丹後鉄道などで直通運転が行われています。
★びわこ京阪奈線フリーきっぷ
元々建設予定であった信楽駅〜加茂駅間は現在も建設されていません。しかしこのような構想があるのです。近江鉄道米原駅から貴生川駅までと信楽高原鉄道貴生川駅から信楽駅そして延伸を実現し片町線(学研都市線)の京田辺駅へ繋ぎ琵琶湖周辺から京都、大阪、奈良へのアクセス線、びわこ京阪奈線構想があり近江鉄道全線と信楽高原鉄道全線を乗り放題できる切符が土休日限定で販売されています。中の人は今回これを使って信楽線を満喫しました。
信楽高原鉄道信楽線の旅いかがだったでしょうか?
ご覧いただきありがとうございました。
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