E231系やE233系が蔓延る前、東京駅の “もう一つの主役” が113系であったのに対し、上野駅の “もう一つの主役” は115系でした。こんな光景も昭和国鉄の時代には当たり前だったわけですが、東京駅の “華やかな時間” が朝と夕方だけで、113系の姿が目立っていたのに対し、上野駅はほぼ終日、 “華やかな時間” なので、 「あれっ!? いたの?」 とばかりに115系は目立ちませんでした。

私もどちらかと言えば、115系より113系を支持していたし、ほぼほぼ同じ車体なのに何故か115系に対しては 「鈍臭い」 イメージしか湧かなかったんですね。ただ、115系は山岳地域向けで寒さにも強いし、そういう意味で言えば 「力強い」 と思う方もいらっしゃったでしょう。同じ車体なんだけど、113系と115系のカラーや立ち位置は明確に違いますよね。

 

画像は昭和53年に撮影したものだそうですが、列車番号には 「4879M」 と読み取ることが出来ます。それを手がかりに時刻表を紐解くと・・・4879Mが無いんです。879Mは存在して、高崎線・両毛線回りの小山行きなんですけど、発車番線が7番線なんですね。

5番線から発車する高崎線の普通列車を列挙すると・・・

 

1833M  8時20分発 籠原行き

 837M  9時20分発 前橋行き

 841M 10時20分発 水上行き

 847M 12時19分発 高崎行き

 857M 15時18分発 長野原行き

 869M 17時09分発 高崎行き

1887M 18時50分発 新前橋行き

 891M 19時20分発 高崎行き

 921M 21時25分発 高崎行き

 

だけです。879Mにしても4879Mにしても、擦りもしませんね。この列番って何だろう?

「東北線じゃないの?」 と言われるかもしれませんが、東北線普通列車の番号は500番台なので、東北線ではないですね。

 

今は高崎行きや籠原行きが中心で、遠くても前橋行きというのが高崎線の普通列車なんですけど、昭和国鉄の時代は上記に記した水上行きや両毛線経由小山行きもあれば、長岡行きだ、渋川行きだ、吾妻線の長野原 (現、長野原草津口) 行きだ・・と長距離の普通列車が多く設定されていました。でもこの頃の高崎線普通列車のスターはやはり、高崎行きの2325レでしょうね。唯一残った客車普通列車で、53.10改正までは東北線にも設定されていた客レでしたが、電車化が進み、徐々に削減されました。上野駅に乗り入れる客レは57.11改正で全て姿を消しますが、2325レも列車番号や運転時刻等を変えながらも、57.11改正まで生き延びたと記憶しています。

 

115系は今、どれくらい残存率があるのかわからないけど、JR東日本だと新潟が最後の砦になっているようですね。しなの鉄道はどうなんだろう? あとはJR西日本の岡山や広島辺りでもまだ見られるようですが、数も余命も知れていると思います。山陽線普通列車の後継車両である227系は今、広島地区のみの配置ですが、岡山にも配置されるようになったら、その段階で115系の命脈は絶たれます。

 

新潟も岡山も遠いけど、185系無き今、MT54の雄叫びを聞けるのはここしかありませんので、無くならないうちに一回くらい乗ってみるのも一興かもしれません。あっ、JR九州の415系も選択肢の一つですが、九州はもっと遠い・・・。

 

 

【画像提供】

ヤ様

【参考文献・引用】

国鉄監修・交通公社の時刻表1978年8月号 (日本交通公社 刊)

ウィキペディア (国鉄115系電車、JR西日本227系電車)