令和3年10月10日    下津井よいとこ

 

昭和39年 東京オリンピック開会から57年

 

「日本中の青空を東京に集めたような素晴らしい晴天となりました。」
 

 昭和39年10月10日、雲一つない日本晴れの下、東京オリンピック大会が開催されました。
 

 我が国は、戦勢非となった大東亜戦争の敗北、戦争末期の空襲により、国土が荒廃し、経済がどん底に落ち込みました。終戦直後からの日本人一丸となっての懸命な再建、復興、そして経済成長により、約20年の間にオリンピックを開催するに至りました。
 

 昭和39年の東京オリンピックは、我が国の戦後復興と高度経済成長を象徴する祭典でした。
 

 東京オリンピック開会式当日の素晴らしい晴天は、この一大祭典を祝賀する天からの贈り物だったと云えましょう。
 

 開会式は、威風堂々と、整然と行われ、オリンピックはかくあるべしと云う内容でした。
 

 最終聖火ランナーの坂井義則氏が力強く国立競技場の段を駆け登り、そして堂々と聖火を点火した姿は、オリンピックの精華、当時の我が国スポーツ界の精華と云うべきものでした。
 

 我が国をはじめ、各国選手団の整然たる入場行進も、記憶に残るものでした。
 

 マラソンの円谷選手や君原選手の力走、日夜の猛訓練の末、宿敵ソ連を破って優勝を勝ち取った女子バレーボール・日紡貝塚の選手の活躍など、我が国選手の活躍は、いま映像を振り返っても手に汗を握るものがあります。
 

 大成功に終わった東京オリンピックの素晴らしい記憶は、我が国のその後の発展と繁栄を支え続けたと言えましょう。
 

 東京オリンピックの開催準備と並行して首都高速道路や新幹線などの建設が進められました。
 

 東海道新幹線の開業は、東京大阪間の輸送力を大幅に向上させ、更なる経済成長を支える大動脈となりました。特急列車の利用が身近なものとなる出発点ともなりました。
 

 東海道新幹線は、海外に類例がない非常に先端的な鉄道であり、我が国の技術力の高さを国内外に知らしめることになりました。
 

 新幹線は世界に勇名を馳せることとなりました。
 

 オリンピックから6年後、日本万国博覧会が開催された時、新幹線も「動くパビリオン」のようだと言う言説がありました。乗客から、単に移動の手段として認識されるだけでなく、先端技術の体験と云う認識も強くありました。
 

 新幹線の建設と運用は我が国の誇りでした。
 

 昨今、我が国は、長引く不況や中国肺炎の感染拡大などで、沈滞気味の空気がありますが、東京オリンピックや東海道新幹線開業、日本万国博覧会などの栄光の歴史を振り返り、勇気を取り戻したいと思います。