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さよなら両毛線(廃線じゃないよ)

 投稿日時2016/9/4(日) 午前 6:02  書庫鉄道雑記  カテゴリー鉄道、列車


両毛線との付き合いは50年にもなるかな。
両親の実家の最寄り駅が富田だったので盆正月には必ずと言ってよいほど利用していたんです。

一番古い記憶はまだ電化直前の頃の物で、足利から乗った蒸気機関車牽引列車や、ステップ付きドアの下の方に小さい丸窓があった車両、職員がテコを動かすと腕木がパタンと動く様、対面ホームへはホーム上の鉄製のふたを開けたら現れる階段を降りて線路を渡っていたった事、などなど。
それらの風景は1968年(昭和43年)の電化を期に見られなくなったけど、代わりに走りだした電車は横須賀線のお古でそれはそれでよかった。



神奈川ではもう聞く事が難しくなっていた釣りかけ電車の力走や、特に良かったのが80系2等車改造のクハ77。そのシートにふんぞり返って、次々に通り過ぎるハエタタキや日光へと続く山並を眺めるのは最高でした。東北本線の近代的な115系から乗り換えると、なんかぬくもりあるこれらの車両に安堵感を覚えて、「ああ、もうすぐ田舎に着くんだ」と嬉しくもなったもの。
なのでたまに115系で運用されていた列車に当たるとガッカリ。
先頭に連結されていたクモユニ74も電気機関車みたいでカッコ良かったな。



小山駅の両毛線乗り場が改札を入ってすぐの所で、洗面所と立ち食いそばもあった様な気が。
更に歩を進めると70系の先頭に湘南色が連結されていて、傍のターレット台車に積まれた箱からはピヨピヨとひよこの声も可愛く。
一方、クモユニの声(警笛)は「ブヒッー」だったので当時はあまり好きでなかったな。

ところが1978年(昭和53年)春に何の前触れもなく70系は115系に置き換えられてしまいました。(当時は情報源が鉄道誌しか無くてニュースは全て過去形)
その夏訪れた所、もう青とクリームの旧型電車の姿はどこにも無く、この憎っくき115系め!と思ったものでした。



が、やがて両毛線=115系という図式が私のなかに定着していきました。
しかし、そこは偏屈な私の事。東北本線の物より綺麗なピカピカ新車もよりも、少々窮屈な古い非冷房車の方がより好みでした。
ちょっと空気が淀んだ窓の閉め切られた東北本線の列車から乗り換えた両毛線の115系が非冷房車だったら気分は最高。
窓を全開にしてしまって、小山駅停車中こそは暑いものの、いざ走りだして思川の上へと飛び出せば涼風が吹きこみ(気のせい?)、後はさわやかな田んぼの中を驀進。
風をいっぱいに浴びて楽しかったなー。



母の実家は駅から山一つ南側。
なので両毛線の音はよく聞こえました。
ジリジリと暑い盆の午後。
風通しの良い部屋に寝っ転がって昼寝。
聞こえてくるのはツクツクホーシが混じった蝉しぐれと、木々を渡る風の音。
そして時折115系の鉄轍音。
それは富田駅を出る警笛に続いて次第に速くなり、しばらく走り続けた後、山裾を回るカーブで減速してその山向こうに行ってしまうまでずいぶんと長い事聞こえました。

田の中の小川で魚釣りをしている時などは音がし始めてしばらくの後、挟間湿地の向こうに姿を現した列車を浮を見るのも忘れて眺め続けたものでした。



以来40年。
大小山にいだかれた様な富田駅に到着するまでの115系は嬉しく、帰りの富田駅に進入してくる115系は少し寂しい存在として私の中にあり続けたのです。



コメント(2)

 

 

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70系やクモユニ、貴重ですね♪

115系も、東北線よりピカピカな新車であっても、冷房準備(非冷房)車が多かったような。。

・・にしても、廃車してしまう115系のクロスシート、
211系に転用してくれないですかね。。  

2016/9/4(日) 午前 10:43  哲ちゃん+Mc169  
 
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> 哲ちゃん+Mc169さん
全くその通り。
ロングがねー。
いっそ両毛名物、サロ211(平屋)を3戸先頭車改造していてくれたら。(笑)

冷準車。そう言われてみると。(汗)  

2016/9/11(日) 午前 6:31  NEKOTETU