アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

補機の付いた金谷川を往く~ED71 and 485系

2021-10-07 20:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

北の大動脈である東北本線は、新幹線開通によって大きく変化した路線の一つだ。アントンKが鉄道趣味を始めた時代、東海道には間に合わなかったが、まだ東北線や上信越線には多くの優等長距離列車が存在していて、今思い出しても華やかな路線だったことを思い出せる。当時の印象は、立て続けにやってくる特急列車に驚かされていたとともに、列車によってカメラを向けるのも止めていたものも多い。限られたフィルムの中で、自分の行程を考えシャッターを切っていかないと、手持ちのフィルムが無くなり、目的の列車でさえ撮影出来ずに終わってしまうからだ。特にバケペン(PENTA67)は10枚撮りで、撮り切るタイミングまで考えて撮っていたことが今では懐かしく思い出せるのだ。

そんなことを想いながら旅した秋の東北路の写真を掲載しておく。

今や忘れ去られてしまい、話題にすらならないことだが、案外東北本線には連続勾配区間が散在していて、昔からみても悪戦苦闘の歴史が刻まれている。最も有名であろう奥中山の峠道は、第三セクター化でも存在しているはずだが、阿武隈越えや越河越えなども、実際にロケハンして現地を歩いてみると、想像以上の路線が目の前に現れて度肝を抜かれた当時の想いが蘇ってくるのだ。勾配区間というと、当時はどうしても奥羽本線の板谷峠や、磐西の更科越えなどに眼が行きがちだったが、列車本数は比較にならないほど多くの列車が、喘ぎながら坂を上る光景は、何よりも増してアントンKには魅力的に感じていた。写真の金谷川でも、上り列車に対して長い上り坂が福島から続いている。さすがに電車はへこたれずに上ってくるが、貨物列車は後補機を付けて長い勾配を行き来していた。補機付きが貨物列車全てではないのは、西の瀬野八と近似していたが、赤い小粒のED71が孤軍奮闘する姿は、秋の東北路によくマッチしていたのだ。補機仕業を終え、側線で一休みしているところに、後続のL特急「ひばり」が爆走して抜き去っていくシーン。これこそ、アントンKにとって東北路の印象そのものなのである。

1982-10-15    1008M      特急「ひばり8号」 と ED71 14    東北本線:金谷川にて



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