涙をのんで諦めたお立ち台(有名撮影地)がある。苫小牧の近く、室蘭本線沼ノ端•遠浅間にある勇払の丘だ。ちょうど千歳線と立体交差するあたり。年配の鉄チャンには有名なお立ち台だ。そこに1975年の年末に訪れるはずだった。その頃北海道の室蘭本線や夕張線に最後まで残っていた蒸気機関車の全廃が秒読み段階だったが、年内はなんとかもつだろうというのがもっぱらの噂だった。そこで学校の冬休みに仲間と共に撮りに行こうと切符の手配まで済ませていた。
しかし…国鉄の労働組合は11月下旬に争議権を求めて長期ストに打ってでた。いわゆるスト権ストだ。法治国家で組合の要求が通るわけもなく、12月初にストは終わった。それからだ。強気になった当局はあっという間に新製のDD51を岩見沢と追分に大量配備した(としか思えなかった)。14日の旅客列車、24日の貨物列車を最後に無煙化され、国鉄の営業路線から蒸機が消えてしまった。なぜ鉄チャンが多数訪れるであろう冬休み前に無煙化を急いだのかはわからない。いずれにしろ冬休みに間に合わなかった。もし間に合っていたら勇払の丘で撮っていたのにと思うととても悔しく、涙無くして蒸機全廃を報じるTVニュースを見れなかった。

 

実際に勇払の丘を訪れたのはそれから8年あまりが過ぎた1984年1月のこと。大学卒業を前にして因縁のお立ち台に一度は行ってみようと思ったのだ。薄曇りの空の下ひとり勇払原野の丘にたたずみ感傷にふけった。その勇払の丘は今では木々が鬱蒼と茂り、写真を撮るどころではないようだ。

(↓勇払の丘にて1984年)

(↓同地点から追分・岩見沢方面を望む1984年)


ところで、鉄チャンの中にはお立ち台で撮ることを蔑む人もいるが僕はお立ち台派だ。古くから鉄チャンの間で有名なお立ち台は風景もいいし、安全に撮ることができる。みんなで同じような写真を撮ってなんになるんだとアンチの人は言うが、お立ち台でどう撮るかは十人十色。どう風景を切り取るかがセンスの競いどころだ。
しかし以前からのお立ち台はどんどん減っているのもまた実情だ。木々が成長したり保安施設の設置や線路付替などで過去帳入りしたお立ち台も多い。山陰線餘部駅近くの余部橋梁、東海道線根府川の白糸川橋梁や三島•函南間の竹倉付近、小海線野辺山のJR最高地点付近、東北線南福島•金谷川間のカーブなどなど。お立ち台も撮れるうちに撮っておくという姿勢が大事だと痛感する。

(↓山陰本線餘部にて1987年。「Excellent Railways」P50-51に掲載した写真。その後コンクリート製の橋梁がこの橋梁の脇に新たにつくられた。)

(↓東海道本線根府川にて1985年。今では線路の両側に防風柵が設置されている。)

(↓東海道本線三島-函南にて1982年。ブルトレを富士山バックに撮れることで有名なお立ち台も木々が成長し、見通しがきかなくなったと伝え聞く。)

(↓東北本線南福島ー金谷川にて1983年。今では草木が生い茂り、列車下部が隠れてしまうようだ。)

(↓小海線野辺山にて1976年。線路の背後に立派な道路ができ、撮影場所にも木が生い茂り、かつての景観は望めなくなってしまった。)


なお、昨今撮り鉄が集中する駅ホーム端はお立ち台とは言わない。大挙してホームで撮るのは乗降客に不快感を与え社員に余計な負荷を強いる迷惑行為以外のなにものでもない、ましてや三脚や脚立の使用など言語道断、と思う。