E4系Max最後の二ヶ月〜追わなかった“大物”を追った夏① | たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

『縁は、連結する』鉄道など交通を中心に興味の赴くままに、日々呟き語るブログ。
※最近すっかり鉄道ルポタージュ化してますが、言いたいことを素直に言うという意味でブログタイトルは変えてません。

さて、潜伏期間24年(?)から遂に目覚め…

いよいよE4系記録行脚に、その重かった腰が遂に上がった。

ある意味怒涛とも形容できる、これまでの自分としては極めて異例な「被写体:新幹線」の記録。

その始まりは、定期運用終了二ヶ月前の、暑い夏の青空の下からとなった。


…もっとも、頻繁に乗り歩くような財力、精神的余裕はそんなに持ち合わせておらず。

加えて仕事もあるために、基本的に動くのは土休日、それも昼から夕方に限られていくことに。


この時点で既に運用離脱が進み、残り編成数は全26編成の中で7編成までに減少。

昼は運転間隔が大きく開く時間もあり、自分にとって撮りやすい列車は概ね以下のものであった。


Maxとき316号・Maxたにがわ316号 東京12:28着(高崎→東京間16両編成)

Maxとき321号・Maxたにがわ321号 東京12:40発(東京→越後湯沢間16両編成)

Maxたにがわ410号 東京13:00着(8両編成、折り返し回送)


それから次第に撮影時間帯を拡大したり、乗ってみたりしていくのは後々の話。

まずは、やはり東京都民として効率良く撮れるならここしかあるまいと踏んで向かった場所は…


8月1日日曜日、東京駅にて(12:28頃、Maxとき・たにがわ316号到着)

やっぱり東京駅。

全ての東日本の新幹線が集まる東京〜大宮間は、確実な記録撮影には最適…であろうと。

決して広くはないホームに過密ダイヤ、一朝一夕には理解不能な発着パターンに著しく難儀したが

8月に入ったことだし、まずはここからコツコツ記録を始めてみようと…


…改めて最初に呟いたTwitterを読み返してみると、あまりそこまで考えていたとは思えない。

前述のような経緯もあり、また当日は東武350系からの流れもあっだからだと思う。

実際、まだこの頃は東武350系に重きを置いていて、早速計画し8月29日に乗車が実現している。

そしてその日にE4系も再乗車しているが、それは行程の余裕時間を削りに削って半ば副産物の様に

実現できたものであり、あくまでも主目的ではなかったことに留意。

…それにしても、久しぶりに動くE4系を見たら、やはりその大柄車体の迫力に圧倒。


それが、16両編成で走ってきた姿だからなおのこと。

世界最大・定員1,634名の大迫力は、他の新幹線とはまた違う魅力に気がついたのだった。


JR東日本ならではの、2編成併結での走行。

そのスタイルに改めて感銘を受けたのが、重い腰を押し上げる契機になったことは疑いない。

そして、隣に停車しているE5系との屋根高さの違いも!


新塗装になった後のE4系を東京駅新幹線ホームで見たのは、この時が初めてのことであった。

とにかく東北・上越新幹線に乗る機会がほぼ皆無で、2020年の1月3日にようやく高崎から東京まで

ショートカット利用した時も時間のタイミングが合わず、その姿を見ることはできていなかった。

それだけに、間近にその威容を眺める事ができたのは大きなことだった。


そして、ラストランに向けて周囲のボルテージはどんどん高められていた。

実は既に、ラストラングッズもそれとなくマスクあたりは買っていたのだがw

改めてその威容を目の当たりにすると、これまでとは違う感情が湧きたってくる。


そんなラストランマークも記録に収めながら、限られた時間を有効に使うためにホームを歩く。


連結面を見ると、左右でごく微妙に造形が違うように見える。

左がP13編成、右が最終製造車のP82編成。

アルミ打ち出しによる妙技ゆえか、それともこれまでの激闘の産物だろうか。


まだ8月は、E4系の周囲もきわめて静かであった。

暑いことに違いはなかったが、きわめてストレスも無くあれこれ撮影することができた。


その後はなかなか好天に恵まれないジレンマこそあったけど、この日は8月にしては珍しく快晴で

抜けるような青空の下で、存分に撮影することができたのが良かった。


ただ、折り返し時間はわずか12分。

Maxとき・Maxたにがわ321号と変わって、12:40、再び新潟方面へ走り始める。

その忙しなさも東京駅のボトルネックであり、また唯一無二の特色でもある。


そして、旅立ちを見送る。


まずは、新潟(越後湯沢)に旅立っていく16両の勇姿を見送る。

この成果にちょっと気を良くして、ここから新幹線のように長い付き合い旅が始まっていくことは

まだこの時の自分には想像できていなかったのであった。