さよなら、週刊誌の中吊り広告 | 書斎の汽車・電車

書斎の汽車・電車

インドア派鉄道趣味人のブログです。
鉄道書、鉄道模型の話題等、つれづれに記していきます。

 最近消えたものといえば、まあ世間的には新幹線のE4系ってことになるんでしょうが、実は9月いっぱいで、電車内の週刊誌の中吊り広告も姿を消しました。

 まず8月末で『週刊文春』が広告の掲示を止め、9月末には最後まで残っていた『週刊新潮』の中吊り広告も終了した次第です。

 (もちろん、中吊り広告そのものがなくなったわけではありませんよ。あくまでも週刊誌の広告が消えたというお話です。ただ、将来的にはどうなるかはわかりません)

 

 かつてはほぼ全ての週刊誌が、首都圏の各路線に広告を出していました。それが近年みるみる姿を消し、最後に残った2誌にしても、広告が見られるのは東京メトロ各線のみとなっていました。

 やはり高額の広告費を考えると、各路線に広告を出すのは「割に合わない」ということでしょうか。また、広告の締め切りが早く、その後のスクープ記事に対応できないという悩みもあるのだそうです。

 

 日本の週刊誌といえば、新聞社系のものは戦前からありました。その後昭和30年代に入り、『週刊新潮』を皮切りに出版社が参入、百花繚乱とでもいうべき時代が到来しました。ただ、最近では読者の高齢化が進んでいるようで、各誌とも、デジタル化などさまざまな模索をしているようです。まあ、新聞やテレビとは一味違うニュースを伝えるメディアとして、その存在には意義があるのではないかと思います。また、各種コラムなどの読み物も週刊誌ならではですしね。

 しかし、すべての週刊誌を毎週買うというのは非現実的なお話でして、そんな意味でも、電車内で中吊り広告を眺めるというのは、「ほう、こんなことも起きているのか」と、普段縁のない世界の出来事などを知る機会だったのですが、残念ながらもう見ることはできません。

 

 ところで、鉄道における週刊誌の広告といえば、今回お話してきた中吊り広告以外にも、かつてはこんなものもありました。というのが後半のお話です。それは、路面電車の系統板の下部にあった広告です。

 例えば東京都電では、昭和30(1955)年4月から、系統板の下に広告を入れるようになりました。東京都交通局編『都営交通100年のあゆみ』(平成23年)には、当時の都電の系統板の写真が数多く掲載されていますが、週刊誌の広告としては、『週刊新潮』『週刊文春』『サンデー毎日』が見られます。これはあくまでも膨大な系統板のごく一部でしょうから、実際にはここでご紹介した以外の雑誌も広告を出していた可能性はあります。(なお、週刊誌ではなく月刊誌ですが『小説新潮』の広告もありました)

 系統板下部に広告を載せるようになった時期というのが、ちょうど先に述べた出版社系週刊誌の創刊ラッシュとほぼ同時期です。また、当時都電は斜陽化が進みつつあったとはいえ、まだ通勤、通学の足として活躍していた時代ですので、利用者が目にするであろう系統板に週刊誌の名前を載せるというのは、恰好のPRの場だったものと思われます。

 その後都電は廃止が進みますが、私の記憶では『週刊文春』は、荒川線ワンマン化の直前まで広告を出していたように思います。

 今回は、東京の交通史をめぐる異色の話題となりました。これからも「正史」ではまず取り上げないであろうお話を、折りに触れてご紹介していきたいと思います。

 ちょっとわかりにくいかも知れませんが、ムサシノモデル製都電7000形(32系統・早稲田行き)に『週刊文春』の広告が付いています。

 系統板と広告はエムズ・コレクション製のステッカーを利用したものです。昭和40年代後半の姿です。系統板や広告のバラエティを楽しむとなると、Nゲージでは小さすぎ、やはり今回のように16番でということになりますね。

 この頃の『週刊文春』は、「文春砲」などといわれる昨今とは異なり、どちらかというと大人しい印象の雑誌でした。表紙を和田誠氏のイラストにし、特集記事やスクープ記事が充実してくるのは、昭和50年代に入ってからです。