豊橋のビジネスホテルで目が覚めると、ホテルから駅にかけて一帯が水浸しになっている。どうにか豊橋駅にたどり着きホームに行くと、戦前に京阪神地区で活躍した貴重な車両(クモハ53007)が先頭に立って待機しているではないか!!  この車両、普段は編成の中間に挟まれていて顔を拝むことができない。こんな機会は滅多にないと、向こう見ずにも乗車して北に向かうことにした。しかし列車は土砂降りの雨の中を少し走っては止まりを繰り返しているうちに新城駅で運転抑止。そのまま長いこと駅待合室で待機していたが、15時過ぎに運転打ち切りになってしまった。この辺りは小降りになってきたのにと思いながらも、仕方ないのでタクシーで豊川に出てまだ動いていた名鉄で豊橋に戻ってきた。
(↓旅の5日目。飯田線豊橋にて発車を待つクモハ53007)

(↓飯田線新城で抑止中のクモハ53007(左))

さすがにもう帰ろうと思ったが、東海道本線の富士川橋梁が流されてしまい、名古屋以東は上下線とも不通。新幹線は動いていたが、青春18切符では乗れない。予定外の出費がかさみ新幹線に乗れるだけの持ち合わせもなくどうしようか青ざめながら悩んだ末に、大迂回して帰ろうと決めた。

(↓国土交通省のウェブサイトより)

まずは名鉄で名古屋に出て、国鉄の各駅停車に乗り換えて一旦新大阪へ。混乱時のブルートレイン回送には宮原区のEF58が充当されるのではと読んだのだが、見事に空振り。PF牽引だった。落胆して写真を撮る気にもならなかった。ここまでは朝豊橋駅で知り合ったN大のS君と同一行動。ひとり米原に戻り待合室で仮眠をとった。

 

明くる朝の北陸本線始発で福井へ。足羽川の橋のたもとから併用軌道を走る福井鉄道を撮影し、そのまま武生新駅へ。駅前で某宗教の勧誘を受けたが、それをはねのけつつ福井鉄道の車両を撮影。福井に戻り国鉄の各駅停車に乗って富山へ向かった。金沢駅では鉄研の後輩H君を見つけ富山まで一緒した。車内で事情を話すと呆れられたが、先輩(僕)の臨機応変さを評価してほしかった。富山では地鉄をチラッと見て、富山港線の岩瀬浜まで往復し、上野行きの夜行急行に乗るべく直江津へ向かった。青春18切符では乗れない急行乗車に必要な乗車券•急行券代を死守したためこの日はほとんど飲まず食わずだったが、なんとか翌4:45に無事上野にたどり着いたのであった。

(↓6日目の朝。東海道本線米原にて急行きたぐに)

(↓2枚とも福井鉄道にて。インターアーバンの雰囲気があっていい!)

(↓富山地方鉄道にて。屋根上左右のヘッドライトが渋い!)

(↓富山港線岩瀬浜にて。その後の富山港線の変貌には驚くばかり)


状況判断を誤った阿房といえばそれまでだが、こういうときは適時適切な情報収集と旅を中止するという勇気•判断力、それに余裕をもった所持金が大切と身をもって痛感したのである。