9月19日のことになりますが、クルマで三重県の方までドライブしてきました

長距離を走ると疲れる体質であるが故に、普段は家と職場の往復がメインで、クルマで滅多に遠出しない管理人ですが、この日は三連休の中日だったので思い切って尾鷲市まで行こうと思ったわけです

 

 

 

新熊野大橋を渡って三重県に入り、10分ほど走ると道の駅「紀宝町ウミガメ公園」に着きました

ただし、三重県内に緊急事態宣言が発出されている影響で、展示施設や食事処はすべて臨時休業しており、ウミガメを見ることはできませんでした

 

新宮からすぐそこにあるのに、なかなかここまで来る機会はないんですよね

新熊野大橋の渋滞が酷いので、県境超えるという行為に対して自ずと足が遠ざかってしまうのです

 

 

三重県内の熊野市から紀宝町にかけて、30㎞に満たない距離の中に道の駅が3つも設置されています

さきほどのウミガメ公園から5分ほどクルマを走らせると、今度は道の駅「パーク七里御浜」に着きます

 

 

三重県のこの地域は、一年中みかんが収穫できるみたいですね

紀伊半島南部の温暖な気候の成せる技ですね

 

 

ちなみに、この道の駅「パーク七里御浜」は、かなり特異な構造になっており、オークワ阿田和店と併設されています

厳密に言うと、オークワ阿田和店がピネと呼ばれるパーク七里御浜モールの中に入居している扱いになっています

 

 

 

標識類はどれもがずいぶんと草臥れていて、年季が入っています

 

 

運営主体はパーク七里御浜株式会社となっており、オークワはあくまでもテナントとして入居していることが伺えます

内外装共に1988年に開業した頃の雰囲気をいまに残しており、店内にいたっては”昭和レトロ”の香りすら漂ってきますが、オークワはそれなり活気があるので、寂しくうらぶれたような感じはしません

 

 

屋上駐車場は抜群の眺望性を誇っています

あくまでも駐車場なので、クルマの往来には気を付ける必要がありますが、しばらくゆっくりしたくなりますね

 

 

 

12時前には熊野市にある道の駅「熊野・花の窟」に着きました

ここも海岸線がきれいなので、クルマから降りて周辺を散策しました

 

 

 

この道の駅の近くには、国の天然記念物に指定されている獅子岩があります

地盤の隆起と海蝕現象によって生じた形状が、獅子が吠える姿に似ていることから獅子岩と名付けられました

 

 

さきほどの獅子岩は、道の駅から600mほど離れていますが、すぐ横にはネーミングの由来となった花の窟(はなのいわや)神社があります

日本書紀によると日本最古の神社とされており、社殿はなく海蝕岩そのものが御神体とされている点が特徴的といえます

 

 

あっちこっち歩き回っていると、お腹が空いてきたので道の駅で昼食を摂ることにしました

ウミガメ公園の食事処は閉鎖中でしたが、こちらは営業中だったので、自治体によって対応が異なるのでしょうか?

 

しかもコロナ禍で有難いことに、この道の駅のフードコートは吹きっさらしで換気も抜かりありません

ただ、コロナ禍でも管理人は普通に飲食店(居酒屋を除く)には出入りしているので、店側のコロナ対策をそこまで気にしているわけではありませんが…

それよりも、フードコートがきちんとした建物になっていないので、雨が吹き込んできた時はどうなるのか気になりますね

 

ここでは、地鶏の親子丼をいただきましたが、ダシは美味しかったのに、鶏肉がやや硬く食べづらかったのだけが残念でした

 

 

道の駅で定番デザートといえば、やっぱりソフトクリームですよね

大内山牛乳使用なのはもちろんのこと、上には熊野市特産の柑橘類”新姫”をベースにハチミツを配合した特製のジュレが彩ります

これで普通のバニラ味と同じ360円なのですから、断然こちらおすすめですね

 

 

彼岸花と蝶々が戯れていたので、遠くからこっそりと望遠レンズで撮ってみました

初秋らしい一コマですね

 

 

さて、道の駅で腹ごしらえも済ませたことですし、本題の国道311号線(以下R311)と三重県道778号線(以下r778)を攻めに行きたいと思います

R311というと、和歌山県本宮町から田辺市へ抜ける道のイメージが強いですが、起点は三重県尾鷲市となっています

 

そして、三重県内のR311にはある役目が課せられています

それは、尾鷲市から熊野市にかけての海岸線に点在する大小の集落を結ぶというものです

 

尾鷲市~熊野市の間には、国道が2本…R42とR311…と自専道で高規格な熊野尾鷲道路と3本の道路があります

このうち、R42と熊野尾鷲道路は両都市間の短絡を目的に建設されており、前者は矢ノ川峠にトンネルを穿ち、後者も最新技術にものを言わせて2000~3000m級のトンネルで山々を貫いています

 

そんななか、R311はリアス式の海岸線を忠実に縫うように走るため、距離・時間共に矢ノ川峠経由のR42とも勝負になりません

地元民でもないのに、わざわざ遠回りになる道を好き好んで走るのは、管理人のような酷道ヲタクかライダーのどちらかでしょう

 

今回、R311を走るあたって目的は2つあります

1つは改良が進んだR311にあって、いまでも隘路として名を轟かせる甫母地区の状態を確認すること、そして2つめは未成に終わった梶賀地区内の国道改良計画の名残りを確認することです

 

時刻は14時を少し過ぎたところで、日没前には探索を終えることができるはずです

熊野尾鷲道路を使えば、尾鷲市まで20分ほどで移動できる距離ですが、果たしてR311とr778を通ると何時間かかるでしょうか?

管理人の見立てでは、寄り道も含めて3時間、つまり17時には尾鷲市に着けると踏んでいます

 

 

ガードレールには、国道であることを示すおにぎりがありました

紀伊半島では、ガードレールにおにぎりやヘキサのシールが貼り付けられているのをよく見かけるのですが、他地域でも多用されているのでしょうか?

 

 

Googleマップで予習した時は、R311は海岸線を沿うようにして走るアップダウンの少ない道だと思っていました

しかし、実際に走ってみると、想像以上に高低差の激しい道で、熊野大泊IC付近でR42と別れてから、ものの10分ほどでずいぶんと高いところまで上ってきました

 

※対向車をボカシています

 

車内からフロントガラス越しに急いで撮ったので、白っぽくなってしまいましたが、年季の入った隧道が私を出迎えてくれました

その名を波田須隧道といい、竣工は三重県の資料によると1952年で、坑口こそコンクリになっていますが、内部は壁面に素掘りの凹凸が残っています

 

ところで、R311が全線開通したのは2001年になってからで、それまでは尾鷲市梶賀町と熊野市須野町の間はクルマで往来することができませんでした

そして、熊野市側に近いこの波田須隧道が、戦後間もない1952年に開通しているということは、実に半世紀にも及ぶ長い年月をかけて、海岸線に車道を建設する工事が行われたことの証左に他なりません

 

なお、2001年にR311が全通した後も、2009年に波田須磯崎バイパス、続いて2014年には遊木バイパスが開通し、酷道の汚名を返上すべく改良工事が進められました

 

 

海に突き出した半島を波田須隧道と小さな峠で超えると、海水浴場で有名な新鹿の集落に着きました

せっかくなので、駅を見物していくことにします

 

 

駅舎からはホームへは構内踏切を渡ってアプローチします

 

 

ちょうどキハ85でもやって来ればいい被写体になったのですが、なにせ本数が少ないので、そんなにタイミングよく列車が来るはずもなく、駅名板だけ写して撤収しました

 


 

山越え区間を除くと、ところどころで海を眺めることができました

もちろん、クルマはきちんと停めて、安全を確認してから写真を撮影しています

 

 

熊野市の道の駅を出発してから50分ほどで、R311最大のハイライトともいえる甫母町の狭隘区間に突入しました

ここから集落を抜けるまでの間が、全長8m以上の大型車の通行できない区間となります

 

あまりにも有名な区間なので、道路事情に詳しい大型車のドライバーがここに迷い込むことはないと思いますが、もしここまで来てしまった場合は、引き返すしかありません

この後、せっかくなので何枚か写真を撮ろうと思ってたのですが、よりによって道が一番窄まっているところで、対向車がやって来ました

 

なんとか管理人の超絶ドラテク…ウソをつけ(笑)…で躱せたものの、写真を撮る余裕がなくなったわけです

 

 

細く曲がりくねった道で甫母の集落を抜けると…

 

 

酷道ファンの皆様、お待たせしました

ここがR311の甫母町内の狭隘区間です

 

 

 

山と海の間を無理矢理抜けて行く感じがヲタクの心を震わせるわけです

 

 

振り返ってみてもう1枚

なんというか、この景色だけでごはんが3杯くらい食べれてしまいそうな、いい景色ですね

 

場所によってはガードレールさえ設置されておらず、デリニエータと申し訳程度に小さな縁石が安全を支えているわけですが、”万が一”の事故を受け止めるには、あまりにも心もとないです

 

なお酷道ヲタク的には大興奮の道路もボトルネックであることは間違いなく、この区間についてもバイパス建設が陳情されているため、国道指定が解除される日もそう遠くはないのかもしれません

 

 

 

甫母町の狭隘区間で既にお腹いっぱいですが、この後すぐにR311で最後まで未開通だった熊野市須野町と尾鷲市梶賀町をつなぐ曽根梶賀バイパスに差し掛かりました

熊野市側からクルマを走らせると、須野トンネル、梶賀トンネル、曽根トンネルの順番に通過します

 

1980年代初頭からここに車道を開通させようという機運があったものの、そこから2001年に曽根梶賀バイパスの完工により全通するまでに随分と時間がかかりました

今度はその原因を探るべく、曽根トンネルを抜けてすぐに左折して梶賀の集落へ向かいます

 

 

 

いま私は、上の地図の赤丸で示した梶賀第一トンネルの尾鷲方坑口にいます

センターラインも消滅し、路面からは草臥れた雰囲気が漂っていますが、さきほど通ってきた曽根梶賀バイパスが開通するまでは、ここが列記とした国道でした

 

梶賀の集落まで車道が開通したのは1954年のことで、全通したのが2001年なので、47年にわたってこの集落は”終点”の集落だったわけです

そんな分断区間を解消すべく立てられた計画が、トンネルと海上橋を建設するというものでした

 

そして、ここで注目すべきは梶賀”第一”トンネルが存在するにもかかわわらず、梶賀”第二”トンネルがどこにも見当たらないことです

 

 

本来であれば、梶賀第一トンネルを抜けると、地図のオレンジの線で示したように、湾内を海上橋で抜けて、そのまま梶賀第二トンネルが建設される予定だったことは想像に難くありません

なお、この未成道については、オブローダーのヨッキれんさんが「山行が」にレポートがありますので、詳細はそちらをご覧いただくとして、私なりに現地を訪れた感想を書いていきたいと思います

 

 

梶賀第一トンネルを抜けると、本当は海上橋とトンネルで一直線になる予定だったのに、未成に終わったことから、出口が左急カーブになって、極めて危険な線形になっています

しかも、トンネルは緩やかに右にカーブしているので、知らず知らずにこの道を走ると、注意喚起の青看があるとはいえ、事故を起こしかねません

 


トンネル出口の左急カーブを抜けると、海上橋が建設されるはずだったとこは、橋台の工事さえ行われた形跡はありません

 

 

漁港沿いに梶賀の集落を抜けていきます

どこからどう見ても生活道路にしか見えないので、2001年までここが国道だったとはにわかには信じがたい景色ですね

どこかに国道指定がなされていた頃の痕跡が無いか探しましたが、どこにも見つかりませんでした

 

 

そして、この集落の見どころがもう1つあります

湾内の向こう側に、何か意志を持って山を越えようとしている道らしき構造物が存在します

 

 

 

近寄ってみると、どこかに通じているわけではなく、途中でプツリと途切れています

その線形から察するに、1980年前後にトンネルと海上橋でここを突っ切る計画が立案される前に、海岸線を忠実になぞるような道路を建設して、分断区間を解消する構想があったとみて間違いなさそうです

 

R311で訪れたかったポイントを無事に見物し終えたところで、このまま尾鷲まで走り抜けたいところですが、それでは面白くありません

 

 

前日に、ちょうど地図を見ていると、九鬼の集落の先で分岐するr778という県道があることに気付きました

地図で見ていても険道であることが伝わってくる線形の劣悪っぷりに、思わず涎が出てきそうだったので、せっかくここまで来たので、ここを抜けて尾鷲へ向かうことにします

 

 

R311とr778の分岐地点には、r778方面に健康とゆとりの森が6㎞先にある旨の標識が設置されていましたが、ネットで調べるとただの展望台みたいですね

 

 

入口には大型自動車等通行止めの標識が設置されており、この先に垂涎モノの険道が待ち受けていることを如実に示しています

 

 

最初の方はそれほど道幅が狭いわけでもなく、不安よりも興奮が勝っていましたが、クルマを進めていくと、徐々に三ケタ険道の本性を表してきやがりました

 

 

見通しの悪い急カーブが続き、鬱蒼と茂った木々で、いくら16時過ぎとはいえ暗く幽玄な趣の道が続きます

路面の状況も怪しく、そもそもここを日常的に走るクルマがあるのかどうかさえも怪しいような感じです

 

 

それでも全線にわたってきちんとガードレールが設置されているのには感心です

交通量が僅少…であると推測される…なのに、ガードレールが立派なのは、1992年に八鬼山トンネルが開通するまでここがR311に指定されていたことと無関係ではなさそうです

 

裏を返せば、この区間は一昔前のR311の雰囲気をいまに伝える貴重な証人になっているわけです

いまでは、快適な2車線の区間がほとんどを占めるR311ですが、平成初期まではこうしたクルマ1台がギリギリ通れるような区間も多かったのでしょう

 

 

地図で見たところ、このr778と紀勢本線はところどころ並走しているように見えるのですが、高低差があり過ぎて線路を見ることはできません

 

また、先述したようにほとんど区間が雑木林に覆われているため、海を望める区間はほとんどありません

それでも晴れていたら、木々の隙間からリアス式海岸を眺めることができます

 

 

いくら日が短くなってきている時期とはいえ、17時前でヘッドライトを点灯してもこの暗さなわけですから、気味が悪くないと言えば、それはウソになります

しかも、クマ出没注意の看板まであるわけですから、あまり生きた心地はしません

 

それが酷道・険道を走破する時の醍醐味と言ってしまえばそれまでですが…

 

 

r778の特徴の1つに、橋の名前がきちんと標識に明示されている点が挙げられます

そして、名前を付けることのできない橋については、無名橋+数字で表記されているのが、何ともユニークです

 

ここまでして標識を設置する必要があるのか、それとも遭難した時に連絡できるようにしているのか、謎は深まるばかりですが、他の道路では見かけたことがないため、r778の名物ともいえそうです

 

 

40分ほど曲がりくねった1車線の隘路を進むと、ようやく大曽根浦の集落に着きました

R311と分岐してから、離合したクルマは0台で、果たして酷道・険道ヲタク以外にどれほどの交通量があるのか気がかりですね

 

せっかくなので、大曽根浦駅にも立ち寄ってみましたが、実はかなり昔に駅舎が取り壊されていて存在しないということを初めて知りました

どんな秘境駅であっても、駅舎として小さな小屋くらいは設置されているものですが、この駅には駅舎そのものが存在しないのです

 

辛うじて構内踏切だけが、ホームへの入り口であることを主張していますが、それ以外に駅の目印が見当たらないのです

 

 

特に用事はありませんが、鉄ちゃんの悲しい性なのが、どうしても駅に立ち寄りたくなるんですよね

鉄道では幾度となく通過している尾鷲駅も、こうして外からまじまじと眺めるのは初めてです

 

この後、イオン尾鷲店で買い物してから帰ろうと思ったら、道を間違えて紀勢道の尾鷲北ICへ入ってしまいました

しかも尾鷲北ICはハーフICなので、上り方面にしか行くことができないため、せっかくここまで来たことですし、無料区間の紀伊長島ICまでドライブすることにしました

 

ずいぶん日も暮れてきたので、特に紀北町まで来たところでやることもなく、オークワだけ寄ってすぐに戻ることにしました

帰りは紀伊長島ICから熊野大泊ICまで紀勢道~熊野尾鷲道路を寄り道せずに走ってきたのですが、熊野市まで40分ほどで到着しました

 

かつて、熊野市から尾鷲市まで移動しようと思うと、昔に比べればずいぶん改良されたとはいえ、立ちはだかる矢ノ川峠を越えなければなりませんでした

そのため、両都市間をクルマで移動しようと思うと、1時間近くかかっていたように思うのですが、その頃と比べると劇的に所要時間は短くなりました

 

 

この日の夜は、道の駅「花の窟」で買ったびんちょうマグロのあぶりとカツオのジャーキーで晩酌にしました

右側のびんちょうマグロのあぶりは、食塩しか使っていないのに、嚙めば嚙むほど旨味が溢れ出す逸品で、お酒のアテにぴったりでした

 

以上、R311&r778走破記でした

↓参考資料↓