38年前の今日の情景です。
このBlogでも何度か触れていますが、1983年9月25日の出来事です。1983年は9月24日が土曜日、25日が日曜日でしたが、大鉄局の宮原客車区に配備された14系改造欧風客車「サロンカーなにわ」の初営業列車がその土日に大阪ー東京ー大阪という行程で運転されました。そしてその一か月ほど前の8月20日にデビューをしていた東京南局の同じく14系改造欧風客車「サロンエクスプレス東京」も「サロンカーなにわ」のデビューに日程を合わせ9月24日25日に逆行程の東京ー大阪ー東京で団体列車が仕立てられました。

1983.09.24(土)
9001レ 東京ー大阪 サロンエクスプレス東京
9002レ 大阪ー東京 サロンカーなにわ

1983.09.25(日)
9001レ 東京ー大阪 サロンカーなにわ
9002レ 大阪ー東京 サロンエクスプレス東京

9月24日は土曜日で当時は学校があったため、東京を9時に出て横浜を9時30分頃出発する9001レのサロンエクスプレス東京を撮影できていないのはわかるのですが、横浜市内の通過が夕方になる9002レのサロンカーなにわの方も何故か撮影していませんでした。考えられることは、伝統的に秋分の日+1日で行われていた高校の文化祭が22日23日で行われ、24日は片付けの一日であったのではないかとうことです。おそらくその片付けが午前中に終わる日程ではなく、9002レも撮りにいけていなかったのではないかと思われます。

つまり、東サロ、大サロともそれぞれの往路の様子を知ることなく24日が過ぎていました。現代のようにネット上で即時に何が起こったのか情報を取れるような時代ではなく、自分がそのものを見る以外に昨日、今日のような直近の情報を知り得る手段はありませんでした。

そのような状況のなか、東サロ、大サロの各々復路を撮影に行くべく、24日の夜、345Mで大垣に向かい翌朝そこから撮影地を訪れました。
EF58_148_101
9002レ EF58 148 1983.09.25撮影
とにかく天候が芳しくなく、気が滅入るような雨交じりの天気であったことを覚えています。露出も上がらない厳しい条件のなか、先ずは9002レのサロンエクスプレス東京です。牽引機は……え?148?雨のなか遠征に来て、まさかの148号機であったことの落胆は大きかったです。前日のことは知る由もなかったので、東京ー大阪間を舞台にした南局、大鉄局の競演にはサロンエクスプレス東京の牽引機としては当然東機のエースが登板されているだろうと思っていたところに来た148号機でした。最近お仲間と当時のことを話す機会があるのですが、おそらくこの時期、ロクイチはあかぎ国体のお召に向けた整備に入っていたのではないかという話になっています。それにしても、124号機や68号機もあったろうに何でよりによって148号機だったのかと恨めしく思ったものですが、今にして思えば148号機とサロンエクスプレス東京の組み合わせも貴重だと思えるようになりました。特にこの時期のサロンエクスプレス東京は、まだ2輌の落成が間に合ってなく5輌時代でしたので余計にほとんどなかった組み合わせになっています。

EF58_88_830925
 9001レ EF58 88 1983.09.25撮影
さて午後に入ってやっと雨も止んだころに9001レのサロンカーなにわが東海道を凱旋してきました。もちろん初めて見るサロンカーなにわ、牽引機は……これも仰天の東機の88号機!?当然宮原の釜が充当されていると思っていました。趣味的観点から言えば、原型小窓唯一のオリジナル側フィルターだった146号機あたり、それがマニアックすぎるならばキリ番の100号機あたりかと思っていたところへのまさかの東京機関区の釜です。ただこれは、148号機と違い、ツララ切りと可動式スノープラウを併せ持った東機の青いゴハチのなかでは最も特徴的なスタイルの釜だったので残念感はありませんでした。因みにだいぶ後になってから知りましたが、24日の往路、大阪ー東京は、これも同じく東京機関区の12号機が牽引してきたようです。宮原の客車を東機の釜が牽くという変則的なことが、しかもサロンカーなにわのデビュー行脚という晴れの舞台で何故起こったのか謎ですが、この半年後に運用を離脱することになる88号機によるサロンカーなにわ牽引はこのデビューの復路が最初で最後になりました。

長い間どこで撮ったのか詳細な場所が不明であった88号機大サロを撮影した現場は、付近を通過した時に録ったドライブレコーダーの映像を手掛かりに2017年に突き止めることができました。
EF65_2086_170701
5087レ EF65 2086 2017.07.01撮影
近江長岡ー醒ヶ井間の醒ヶ井寄りの場所でした。
same
このようなものも残っていました。公共交通機関+徒歩しか移動手段もなかったので駅からそれほど離れた場所まで行くことはできなかったのでしょう。

大サロ撮影後、日も落ちて撮影できなくなってから東海道線の美濃赤坂支線に乗り潰しのために乗りに行った記憶があります。117系に乗った気がしますが、果たして記憶と事実が合っているでしょうか。写真はないので自ら証明することはできません。

そして最後は340Mのロザで帰路につきました。実質特急のグリーン車と同じフルリクライニングの165系のサロに300km超乗っても1,700円ですから乗らない手はないでしょう。消費税導入はまだ数年先のこと、グリーン料金には通行税が掛かっています。
ROZA

340Mが首都圏に着く26日は月曜日になっていたはずですが、23日の祝日に文化祭で登校していたため、振替で休みになっていたのでしょう。340Mで早朝自宅に帰ってきてそのまま学校へ行くということはこの後、一度だけやったことがありますが、この時はその事態は、免れていたようです。日曜夜発のガラガラの340Mグリーン車は、旅行客で賑わう夏休みの大垣行き345Mグリーン車とは全く異なる贅沢な空間であった覚えです。もうあんな雰囲気味わえないと思っていましたが、金曜遅めの夜、終電近いこだまのグリーン車で似たような雰囲気を味わうことができて少し嬉しかった覚えがあります。

二大鉄道管理局が威信をかけた団体列車の撮影を終えたあと、ちょっとした乗り潰しをし、そしてゆったりとグリーン車で夜行鈍行の旅を楽しみながら帰る、持って帰れる切符は記念に取っておこう……やはり、撮り鉄、乗り鉄、などというカテゴライズありきの風潮には同意しかねますね。