撮り散らかし鉄の記憶

撮り散らかした鉄道写真の中から記憶に残るシーンを

軽便鉄道博物館(2011.9.18) 旧近鉄 モニ226 保存車/ミニ電ほくさん

2021年09月20日 19時11分43秒 | 中小私鉄
10年前に三岐鉄道阿下喜駅に隣接する軽便鉄道博物館に保存されている旧近鉄モニ220形とミニ電車を撮りました。
1枚目は、軽便鉄道博物館に保存、展示されている旧近鉄モニ226の保存車です。
阿下喜駅側の前照灯は、近鉄時代に通称ブタ鼻と呼ばれたシールドビーム2灯化されています。



2枚目は、モニ226の西桑名駅側で、前照灯は原形の1灯のままです。
右側には、昨日紹介した阿下喜駅に停車中のクハ134も写ってます。



3枚目は屋外展示スペースで並んだ左側はモニ226、右側はミニ電ほくさんです。
地上時代の近鉄四日市駅では湯の山線の車両と並んだナロー線の内部・八王子線は見た目には大人と子供ほどの差があってナロー線の車両が小さく見えましたが、ここではナロー線の車両が大人のように見えます。



4枚目は、軽便鉄道博物館前に停車中のミニ電ほくさんです。



5枚目は軽便鉄道博物館の屋内展示物から、近鉄時代の阿下喜駅の駅名標です。



6枚目はモニ220形が運用されていた当時の阿下喜行きの行先表示板です。



7枚目は、同じく西桑名行きの行先表示板です。



昨日紹介した楚原駅で並びを撮った後は、阿下喜駅に移動し軽便鉄道博物館に行きました。
軽便鉄道博物館は、ASITA(北勢線とまち育みを考える会)さんという団体が運営されており、ネット記事を拝見しているとコロナ禍の現在でも制約を受けながら継続して活動されていて、頭の下がる思いです。
色々な展示物の中で中心は、かつて北勢線を走っていたモニ226の復元展示だと思います。

モニ220形は、北勢線の前身になる北勢鉄道が1931(昭和6)年に阿下喜駅まで全線開業と同時に電化した際に登場した車体長11 m級の半鋼車モハニ50形50~55の6両が前身です。
1944年の三重交通への統合の際に、モニ221形221~226に改称されています。
1949年には同一設計のモニ227~229が増備され、モニ227は北勢線、モニ228、229は三重線(現近鉄湯の山線、四日市あすなろう鉄道)に配属されました。

1965年の近鉄への合併時に、形式がモニ220形に改称され、塗装も近鉄マルーンへ塗り替えられました。
1977年の270系の登場により、モニ225~227は内部、八王子線へ転属しました。
残るモニ221~224は荷物室を廃止、貫通路を設置の上、モニ221、223は電装されてク221、223に改造され、モニからモも改称されたモ222、224とク221+モ222、ク223+モ224の2両固定編成化され北勢線一筋で活躍しましたが、1992年に引退しました。

一方、内部、八王子線のモニ225~229は1982年の260系の登場により、戦後製のモニ227~229はサ120形に改造されて260系と編成を組みましたが、戦前製のモニ225、226は引退しました。
モニ226は四日市スポーツランドにて静態保存されましたが、屋外展示だったため腐食して劣化が激しい状態でした。
2008年に軽便鉄道博物館に移送され、前出のASITAさんが2011年まで時間をかけて復元作業を実施されたおかげで、この頃は概ね復元された状態でした。
その後も、各部の痛みがあるようですが、ASITAさんが懸命のメンテナンスを継続さているおかげで、今でも美しい姿を見ることができます。
モニ226の保存展示だけでなく、線路幅がナロー線の762mmの半分の381mmのミニ電車、通称ほくさんも運行されています。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。