「雷鳥」 が 「サンダーバード」 に統一されて10年が経ちました。あの時、本来なら 「さよなら 「雷鳥」 」 って大々的にセレモニーが行われたんでしょうけど、ご存じのように、その時日本は大変なことになっていたので、セレモニーどころではなかったのは事実。

よく聞かれるのは、 「雷鳥を英訳すると、 “雷の鳥” で “ThunderBird” になるから、 「サンダーバード」 になったんでしょ?」 という誤った解釈。ちゃうっちゅうねん。

鳥のライチョウにもれっきとした英訳があって、 「Rock ptarmigan」 になります。サンダーバードはアメリカに伝わる空想の鳥で、ライチョウとは無関係です。

 

それと、これも良く聞かれるんですが、 「 「雷鳥」 は最初にエル特急を名乗ったんですよね」 ということ。どこでその話を耳にしたかは分かりませんが、どうせ 「鉄道ファン」 誌の請け売り情報を真に受けたんでしょう。でもね、 「雷鳥」 はエル特急の一期生ではありません。エル特急が設定されたのは昭和47年10月の改正からですが、その時既に10往復が運転されていたにも関わらず、エル特急には指定されず、それから2年半後の昭和50年3月に 「しおさい」 「あやめ」 「しらさぎ」 「加越」 「やくも」 「有明」 「にちりん」とともにエル特急化されました。

同改正では、エル特急の一期生だった 「つばめ」 「はと」 「しおじ」 が廃止されたため、 “昇格” と同時にエル特急の代名詞になりました。 「東の 「ひばり」 「とき」 、西の 「雷鳥」 「有明」 はまさに横綱格ですね。この中では 「とき」 が新幹線の愛称として首の皮一枚、何とか残っていますが、 「ひばり」 は廃止後、一度も復活したことがなく、 「有明」 の晩年は運転されているんだかされていないんだか判らないくらい、燦々たるものでした。

 

画像は、昭和54年に撮ったものだそうですが、 「大阪駅まであともう少し」 というシーンです。一瞬、 「向日町からの回送列車?」 とも考えたのですが、下り列車の回送だと、新大阪から北方貨物線を介して方転しますよね。だから、これは上り営業列車ということになります。

背後に写っているマンション、この当時としてはこのエリアでは一番高い建物のように見受けられますが、大阪に行って新快速に乗ると、 「これがそうじゃないか?」 という建物は今も現存しています。でも、周囲にはマンションや商業ビルが建ちまくちゃって、隠れるようにして建っているのが現状です。

 

 

昭和54年撮影ということで、この図を。

これは昭和53年改正における 「雷鳥」 の停車駅一覧です。

この改正で 「雷鳥」 は大きな変化がありました。

まず、大阪-新潟間を結んでいた特急 「北越」 が金沢-新潟間に短縮され、大阪-金沢間については 「雷鳥」 に吸収されました。このため、 「雷鳥」 は2往復が増発されて16往復運転となりまして、在来線特急では最も運転本数が多い列車となりました。

それから、16往復中4往復は583系が充当されるようになりました。

以前は、 「しらさぎ」 に583系が充当されていたんですが、今改正から 「雷鳥」 にスイッチ。関西対北陸関連と583系はそれまであまり縁が無かったんですが、 「雷鳥」 への投入をきっかけに関西対北陸に参入し、以降、急行 「立山」 、あるいは 「きたぐに」 で脈々と受け継がれます。

図の号数でオレンジ色に塗りつぶしているのが485系、薄い青が583系使用列車となります。いずれも金沢便や富山便に充当されまして、新潟便には投入されませんでした。

 

以前、 「ひばり」 を取り上げた時にもお伝えしたんですが、エル特急は停車駅がまちまちで、運転本数が多ければ多いほど、その列車によって大きく異なる場合があります。

「雷鳥」 の場合、起終点を除いて全列車が停車するのは新大阪、京都、敦賀、福井、芦原温泉、加賀温泉、小松、富山便と新潟便は高岡、新潟便は魚津、糸魚川、直江津、長岡、東三条、新津が全列車停車になります。早朝深夜の上下1本ずつ、富山県の石動駅に停車し、滋賀県の堅田駅と新潟県の加茂駅も上下1本ずつ停車します。福井県の武生駅と鯖江駅については、列車によって停まったり通過したりしますので、注意が必要でした。

 

こうやって見ると、ボンネットの 「雷鳥」 も良いなと思いました。

 

 

【画像提供】

い様

【参考文献・引用】

国鉄監修・交通公社の時刻表 1979年12月号 (日本交通公社 刊)

JR時刻表 2021年4月号 (交通新聞社 刊)

日本鉄道旅行歴史地図帳第6号 「北信越」 (新潮社 刊)

ウィキペディア (ライチョウ、サンダーバード、エル特急)