宮崎時代は再開した鉄道写真撮影と同時に、それまでの趣味のメインであった海の投げ釣りと忙しい休日を送っていました。宮崎へ赴任して9か月が過ぎ2000年を迎えました。宮崎の冬はキャンプのためプロ野球チームが県内各地へ入って来るため、宮崎市内は関係者、取材陣、観光客とにわかに賑わってくるようになります。読売巨人軍が青島へ入るころには宮崎市内から青島へ向かう道路が渋滞を起こすほどでした。ちょうどそんなころだったと思います。日南線運動公園、曽山寺間でキハ58系2連を撮影していました。背後に山並みは厚い雲に覆われていますが海沿いでは日が差して南国宮崎らしい天気だったことを記憶しています。水鏡など思いもしませんでしたが、今改めて見てみると惜しかったアングルになっていました。この川の河口はセイゴやキビレ、ウナギが釣れると地元に人に誘われてよく夜釣りに出かけたことを思い出します。

 

 

こちらは日南線油津、大堂津間の砂浜をバックに走るゴッパーニッパーです。ここはSLブームから知られた名所だけにいつか見た記憶がある風景でした。もうC11の姿はありませんが、せめてキハだけでも撮影しておこう。それが20年も経ってしまえば撮っておいてよかった一枚になっていました。

  

(撮影:Canon EOSkissⅡ)

 


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