EF61が牽引する荷物列車です。

EF61については、このコーナーでも何回か取り上げたことがありますが、その都度、諄いくらいに形容するのが 「運が悪かった機関車」 というレッテル。

EF60が 「ポストEF15」 あるいは 「ポストEH10」 と謳われたのに対して、旅客用として登場したEF61は 「ポストEF58」 という役回りが課せられました。そのため、新性能直流機としては唯一のSG (蒸気暖房発生装置) を備えた機関車として重宝されるはずだったんです。でも、実際はそうはなりませんでした。

 

EF60が 「ポストEF15」 あるいは 「ポストEH10」 に成り得たのは、運用線区の事情から。

当時の東海道・山陽本線は電化工事が急ピッチで進捗していて、その工事が完成すると、当時の最新鋭機であるEF15やEH10が惜しげもなく投入されました。でも、EF15では “関ヶ原越え” や “船坂峠越え” が無理だったこと、逆にEH10は2車体8軸動輪が災いして、他線区に転配できなくて、その中間どころであるEF60はコストパフォーマンスに優れた機関車ということで、EF15やEH10を食ってしまう勢いがありました。

 

一方、EF61なんですけど、何故 「ポストEF58」 に成り得なかったのか?

一言で申しますれば、 「必要性がなかった」 からだと私は思います。

“タラレバ” ですけど、もしEF58がデッキ付きの旧車体のまま、SG未搭載のままだったとしたら、EF61はそのアイデンティティを存分に発揮して 「ポストEF58」 に成り得たと思います。でも、EF58は車体を載せ替えて、SGを搭載して、半分 “新型機関車” のような出で立ちになって、国鉄旅客電機のエースになっちゃいました。

さらにEF58の最終落成機が昭和33年ということを考えると、EF61とのラグは3年しかありません。そうなると、わざわざ新型機を登場させてまでEF58の牙城を崩す必要はなかった。それが私論ですけど結論になります。おまけに時代は 「動力分散方式」 を推進しています。つまり、客車から電車・気動車へシフトする傾向が昭和30年代にありましたので、EF61の登場は辛辣な言い方をすれば 「無意味」 ということになります。

 

登場当初こそ、寝台特急 「あさかぜ」 や客車急行を牽く姿が記録されていますけど、それだってEF58の代役というか、無理繰り運用に就けさせた感が強かったように思います。

そんなわけで、スポットライトを浴びたことは殆ど経験が無くて、荷物列車を牽引しながら細々と日銭を稼ぐ姿だけが強く印象づけられてしまいました。しかも、SG搭載の影響で車体の腐食 (癌) が予想以上に早く進んでしまい、JRに継承されることなく昭和60年までに全廃されてしまいます (車籍は昭和62年まであったらしい) 。

なお、セノハチ用の200番代はJRに継承されています。

 

EF61って、関東にも乗り入れていますが、 「西日本の機関車」 というイメージが強いです。

全機新製配置は宮原機関区でしたが、43.10改正で広島機関区に転属。貨物牽引用として吹田第二機関区に貸し出し記録はありますが、基本的には広島を離れることはなく、 「鉄道界の広能昌三」 と言われる所以になります。

 

画像は、東海道本線の神足 (現、長岡京) -向日町間で撮影したものだそうです。画像手前の分岐は向日町運転所からの出区線でしょうか。

この画像で 「!」 と思ったのは、その出で立ち。シールドビーム二灯化工事はともかく、PS22を搭載したEF61があるのを今、知りました。

11号機のみがPS22を搭載したらしく、EF61の中では唯一無二の存在 (注:200番代では2両にPS22交換機がある) 。この辺りは 「さすが広島機関区所属機」 と言えるのですが、EF58よりもEF61の方がPS22が似合うと思うのは私だけでしょうか・・・?

 

 

【画像提供】

ウ様

【参考文献・引用】

国鉄機関車 激動11年間の記録 (イカロス出版社 刊)

国鉄・JR悲運の車両たち (JTBパブリッシング社 刊)

ウィキペディア (国鉄EF61形電気機関車)