お召列車というのは天皇が行幸に際し御乗車になる特別の列車。昭和の時代に那須や葉山の御用邸での御静養の行き帰りに在来線でお召列車が運転されることもあったが、その際は電車。そして春の全国植樹祭や秋の国民体育大会など国の公式行事に御臨席なさる際には美しく整備された機関車と5両の皇室用客車からなる編成で運転された。めったに運転されないこともあり、鉄チャンたちの間で異様な盛り上がりをみせる。直流電化区間ではEF58型電気機関車の61号機という、お召列車のためにつくられた機関車が登場する。この機関車は日立製作所が1953年に製造したもので、製造費が受注金額を超えたと言われている。普段は田町•品川間(現在の高輪ゲートウェイ駅付近)にあった東京機関区に常駐していたが、お召列車牽引の前には工場で入念に整備され、運転当日は前面に日章旗を掲げて走る。また陛下が乗られる御料車の側面には御乗車時にのみ菊の御紋章が取り付けられる。とても美しい姿で日本の宝、まさにロイヤルエンジン、ロイヤルトレインだ。

(↓国府津運転所にて1984年。この機関車を「教祖様」と崇める人たちもいる)


植樹祭や国体の開催場所•日程はあらかじめわかっているので、そこが空港や新幹線の駅から遠く車での移動が難しいと考えられる場合はお召列車が走るのではないかと予想をたてる。問題は運転時刻。インターネットはおろかパソコンもなく口コミが頼りの時代、大学鉄研の総力をあげて情報収集をする。官報でも大まかな情報を得ることができるが、鉄チャンとしては詳細な運転時刻が欲しいのだ。そしてどこからともなくいつも正確な運転時刻が入ってくるのだった。

(↓高崎線にてお召回送1983年)


運転当日はいつもと違って朝早くから現地にスタンバイする。さすがに前の晩からということはしなかったが、昨今は何日も前から場所取りをする人もいるようだ。早朝の現場には沿線警備に当たる警察官もチラホラ。我々を見つけると「なにしてるの?なにも来ないよ」と言うが、続々とやってくる鉄チャンにしだいに対応も薄くなる。みんなとおしゃべりしているうちにあっという間に通過時刻が迫る。遠くの踏切の警報音が鳴り始めると、それまで騒がしかった辺りはサッと静かになり緊張感に包まれる。そんな中をお召列車は颯爽と高速で駆け抜けていく。鉄チャンの砲列の脇を列車が通過するとき、3両目の御料車にお乗りになっている陛下に向かって最敬礼する者、万歳する者などさまざま。列車が通り過ぎて後片付けをしていると警察官たちが「いやぁ〜、みんなよく知ってるねぇ〜。どこで情報手に入れるの?」とかなんとか言いながら撤収していく。

(↓筑肥線にて1987年。遠目にも昭和陛下とわかる)


僕がお召列車を最後に撮ったのは1987年5月、国鉄が分割民営化された直後に佐賀県で開かれた植樹祭のときだ。あれから30年以上経ってしまった。夏休みや年末年始以外の平日に年休が取りにくい環境の職場に勤めていたこともあり、お召列車の運転情報を得ても涙をのんで見送ってばかりだった。平成•令和の時代になると在来線のお召列車は滅多に運転されなくなったが、ごくごく稀に運転されることもある。しかし多数の鉄チャンが押しかけて現場が殺伐とした雰囲気になり警察が出動することもあると聞くにつけ、EF58 61なき今あえて重い腰をあげようという気にはなれないでいる。

(↓宇都宮運転所にて1982年)