第1433回('21) 静岡県内にある東海道本線の駅を降り鉄 (3)  | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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前回の続き…
 
2021年7月16日~17日、会社カレンダーの都合で金曜日が休日になったため、金曜日・土曜日を利用して1泊2日の行程で静岡県・神奈川県へ。主に東海道本線(小田原~豊橋)を乗り鉄して、道中は降り鉄(途中下車)していきました。
乗車区間・曜日により、普通乗車券、ICカード、フリーきっぷを使い分けました。
 
今回は最終日・2日目終盤の内容です。
前回に引き続き、東海道本線・静岡地区の駅を途中下車しつつ西へと進みました。
夕方は浜松~豊橋の未訪問駅を数駅訪問しました。
きっぷはJR東海・静岡地区の在来線普通列車が乗り放題の『休日乗り放題きっぷ』(2,720円)を利用しました。 
そして豊橋駅で東海道本線の乗り鉄・降り鉄を打ち切り、名鉄特急と新幹線を乗り継いで帰宅の途につきました。
 
今回の日程 2021年7月17日  (土)   【その3】  
 
浜松1620(普通)1629舞阪1650(普通)1652弁天島1737(普通)1739新居町1803(普通)1806鷲津1828(普通)1843豊橋1902(名鉄名古屋本線・快速特急)1952名鉄名古屋(徒歩)名古屋2010(東海道山陽新幹線・のぞみ103号)2114新神戸2118(こだま875号)2127西明石2135(JR神戸線)2152加古川  
 
【帰宅】  
 
浜松駅からは東海道本線下り、16時20分発の普通・豊橋行きに乗車しました。車両は静岡地区でおなじみのロングシート車ではなく、名古屋地区で使用されている転換クロスシート主体の313系0番台4連でした。この日はこれまで一部を除きロングシート車ばかりだったので、313系0番台が豪華に見えてしまいましたww ちなみに、浜松~豊橋では静岡地区のロングシート車と名古屋地区のクロスシート車が混用されています。『青春18きっぷ』で西へ行く場合、巡り合わせによっては浜松駅から下関駅まで転換クロスシートのみに座って移動可能です。私が乗り込んだ最後部車両は空いていて、転換クロスシート窓側席に座りました。発車間際には半分ほどの席が埋まりました。
 
道中は車窓風景を眺めて過ごしました。1駅目の高塚駅は下車したかったものの、時間の関係でパスしました。そして下車したのは2駅目の舞阪駅でした。駅名は「舞阪」ですが、浜松市が旧・舞阪町を編入する前から舞阪駅は浜松市内の駅でした(西側の一部のみ旧・舞阪町にまたがっていました)。駅前は古風な住宅街で、綺麗な橋上駅舎とは対照的でした。また、駅のすぐ北側を東海道新幹線が並行していて、新幹線の北側にはうなぎ養殖場が見られます。
 
 

 

 
舞阪駅では16時50分発の普通・豊橋行きに乗車。車両はまたも転換クロスシート車で、今回は311系4連でした。311系は民営化2年後の1989年にデビューした当時のエースでしたが、10年後の1999年に313系が導入されると、早くも花形の快速運用が激減し、主役の座を降りました。そして現在は10年前の117系のポジションに甘んじており、完全に干されている印象ですw 同じ1989年に導入されて今も第一線で活躍しているJR西日本の221系とは対照的な経歴です。この311系も新型315系による置換対象になっており、活躍が見られるのもあとわずかです。最後部車両は半分ほどの窓側席が埋まる程度の低い乗車率で、私は今回も転換クロスシート窓側席に座れました。道中は車窓風景を眺めながら水分補給をしました。そして水分補給を終えると電車は次駅の弁天島駅に到着し、私は下車しました。弁天島駅は2006年に電車と舘山寺温泉行きバスを乗り継ぐために下車して以来、15年ぶり2回目です。とても広い島式ホームが特徴的で、ホーム上に駅舎があります。
 
 

 

 
ホームを観察後は駅を出て、駅出入口と駅前の撮影を済ませてから、駅南側の弁天島海浜公園へ行きました。リゾート地の雰囲気でした。海水浴場になっていますが、夕方だったため泳いでいる人はいませんでした。また、やたらとカメラを持った人が多く、地元のテレビ局の車も待機していました。三脚の上のカメラは海の方を向いていましたので、もしかしたら花火大会でも行われるのでは…と思いましたが、後で調べると、これは花火大会ではなく、この日の夜にTBS系で放送された中居正広さんと安住紳一郎アナが司会の「音楽の日」の企画で、番組時間内に花火が打ち上げられたとの事でした。事前に花火を打ち上げると予告していたものの、打ち上げ場所はコロナ禍で密になるのを防ぐためか、シークレットだったみたいです。カメラはマスコミや打ち上げ場所を予想してやって来た人たちのものだったようです。私はすぐにその場を立ち去ったため花火を見る事はできませんでしたが…。
 
 

 
弁天島駅に戻り、今度は17時37分発の普通・豊橋行きに乗りました。313系の300番台2連の後部にオール転換クロスシートの5000番台6連を繋いだ8両編成で、これは名古屋地区の快速運用で使用される編成です。間合い運用で浜松まで乗り入れているのでしょうか。静岡地区は浜松を境に西(名古屋方面)と東(静岡方面)で車両のサービスレベルが全く違います。まぁ、ラッシュ時しか利用しない人を中心にクロスシートを嫌うケースもありますが…。私は最後部車両(5000番台)に乗り込みましたが、8両編成かつコロナ禍という事で車内はガラガラでした。転換クロスシート窓側席に座り、水分補給をしながら弁天島の景色を眺め続け、2分後に到着した新居町駅で下車しました。新居町駅は旧・新居町の中心駅で、ホームに大した特徴はなく、北側に地平レベルで東海道新幹線が並行しているのが印象的でした。駅舎はリニューアル工事中で、駅前は市街地の東端部にあるためか閑散としていました。有名な新井関所跡は西約700m、線路沿いにありますが、遠過ぎて行けませんでした。
 
 

 

 
また、この日は浜名湖競艇が開催されていたため、北側にある臨時改札口が営業していました。競艇開催の有無を確認せずに新居町駅を訪問したため、臨時改札が営業していてよかったです。もし営業していなければリベンジ訪問する必要があったので…。但し、コロナ禍で競艇場が入場制限をしていたのか、競艇場から帰ってくる人はまばらでした…。今はネット投票ができますので、コロナ禍が長引くようですと現場で舟券を購入したり観戦したりする人が減ってしまうでしょうね…。尚、JR東海といえばお堅いイメージがありますが、公営ギャンブルに対しては寛容な姿勢であり、新居町駅の臨時改札口をはじめ、民営化後に三河塩津駅(蒲郡競艇場近く)や尾頭橋駅(WINS名古屋近く)を新たに設置していて、ギャンブラーにとってはありがたい事をしてくれていますw 
 
 

 
18時を回り、そろそろ日が傾いてきました。新居町駅からは18時03分発の普通・豊橋行きに乗車しました。313系0番台4連で、これは先ほど、浜松から舞阪まで乗った列車と同じ編成でした。この編成は浜松~豊橋の折り返し運用に就いているようです。最後部車両に乗り込みましたが、この電車は大半の席が埋まっていたためドア脇へ。まぁ、土曜日でしたが時間帯を考えるとこれでも乗客が少ない方かもしれません。道中はややローカルな風景を眺めて過ごし、1駅目の鷲津駅で下車しました。鷲津駅は浜名湖の近くに駅があり、ホームからは建物の隙間からわずかに浜名湖を望めました。また、鷲津駅は湖西市の代表駅ですが乗降客がまばらで、駅前も整然としているもののあまり栄えていない印象でした。散策はほどほどにして、駅へと戻りました。
 
 

 

 
鷲津駅では18時28分発の普通・豊橋行きに乗車。車両は静岡地区の主力車両である313系2300番台2連+211系5000番台3連、オールロングシートの5両編成でした。トイレは313系側に設置されています。私は最後部車両(211系)に乗り込みました。大半の座席が埋まっていましたが、疲れていたため着席しました。道中は車窓風景を眺めていましたが、7月とあってまだまだ明るかったです。次駅の新所原駅と愛知県に入って1駅目の二川駅は以前に訪問したので今回はスルーして、18時43分に到着した終点の豊橋駅まで乗り通しました。
 
 

 
豊橋駅到着後はお腹が空いたので、橋上階コンコースにある立食いそばの「壺屋」で、冷しきしめんを食べました。ちなみに「壺屋」は駅弁販売業者であり、駅構内で名物駅弁「稲荷寿し」を販売しています。
 
 

 
時刻は19時前となり、結構暗くなってきたので、この日の降り鉄は終了として帰宅する事にしました。しかし、早朝の三島駅から使用した『休日乗り放題きっぷ』の有効区間は豊橋駅までで、自宅のある加古川駅までは新たにきっぷを購入しなければなりません。どのルートにするか迷いましたが、2021年はまだ名鉄に乗っていなかったので、名古屋まで名鉄で移動する事にしました。コロナ禍が長引けばもう今年は名鉄に乗れないかも…と思うと、なおさら乗りたくなってきましたw という事で一旦改札を出てから名鉄の窓口で名鉄名古屋駅までのミューチケットを買い求め、『ICOCA』で再入場して名鉄の3番線ホームへ。既に入線していた19時02分発の快速特急・新鵜沼行きに乗車しました。展望席がある『パノラマスーパー』こと1200系を期待しましたが、在線していたのは2200系6連でした。前部にロングシート車2連(3100系or3150系or9100系)を併結した8両編成で、私は2号車の特別車へ。指定された窓側席に座りました。コロナ禍ゆえに車内は空いていて、10人もいなかったです。運賃だけで乗車できる一般車(前方の3号車~8号車)はもう少し乗車率が高いと思いますが…。
 
 

 

 
快速特急は定刻に豊橋駅を発車しました。日没を過ぎたと思われますが、まだ外は明るさが残っており、車窓風景を眺める事ができました。快速特急は東岡崎駅までノンストップなので、特急停車駅である国府駅を高速で通過しました。この日は鈍行(普通)ばかり乗ってきたため、通過駅が多数ある快速特急は乗ってて気持ち良かったですw 途中停車駅の東岡崎駅、知立駅では少しずつ乗客が増えましたが、窓側席が全て埋まる事はありませんでした。知立を過ぎるとさすがに暗くなってきて、車窓風景をまともに眺められなくなり、スマホを操作しつつの道中になりました。名古屋市に入り、神宮前駅では乗務員が交代し、次の金山駅では数人が下車しましたが、入れ替わりに数人が乗ってきました。犬山線は長距離路線ではありませんが、普段は混雑が激しい路線として有名で、特別車もそれなりの需要があるようです。そして地下トンネルに入ると快速特急は名鉄名古屋駅に到着し、私を含む大半の乗客が下車しました。入れ替わりに乗車する人は少なかったです。名鉄は何度も乗りに行きたいですが、コロナ禍が長引けばこれが今年最初で最後の名鉄乗車になるかもしれません。コロナ禍の終息を願いつつ、名鉄名古屋駅を後にしました。名鉄名古屋駅はそこそこ混雑していましたが、普段よりはだいぶ少ないのでしょうね…。
 
 

 
その後はJRの名古屋駅に移動しました。人通りが多かったですが、こちらも2年前の同時間帯と比較すると少ない印象です。名鉄特急の車内にて「スマートEX」で西明石駅までのチケットを予約・購入をしていたため、きっぷを買わずに済みました。紐付けしている『PASMO』で新幹線改札を通り、下り線ホームへと上がりました。そして20時10分発の東海道山陽新幹線下り『のぞみ103号』広島行きに乗車しました。車両は古参のN700a系16連で、JR東海所属のX30編成でした。私は1号車自由席に乗り込みましたが、窓側席が全て埋まっていたため、3人掛けの通路側C席に座りました。中央のB席は空いていました。
もう外は真っ暗になっていたため、道中は車窓風景を気にせず、ひたすらスマホを操作して過ごしました。居眠りには気をつけましたが…。京都では意外と乗客の動きが鈍かったのですが、新大阪で近くの窓側E席の乗客が下車したため、すかさずそこへ移動しました。新大阪駅からは山陽新幹線に入りますが、引き続きスマホを操作していました。そして少し眠くなってきた頃に『のぞみ103号』は新神戸駅に到着し、無事に下車できました。まぁ、寝過ごしてもすぐに目が覚めれば姫路駅で下車できますが、後々ややこしいので…。しかし、新神戸着が21時14分で、名古屋から1時間少々で神戸まで行けると思うと、今更ながら驚きましたww
 

 

 
新神戸駅では4分の接続で山陽新幹線の『こだま875号』岡山行きに乗り継ぎました。N700系8連で、JR西日本所属のS8編成でした。私は2列+2列シートの自由席車両(最後部の8号車)に乗りたくて、乗換時にホームの西端から東側まで走って移動したので、乗車時は息切れしましたw 8号車自由席はガラガラで、2人しか乗っていませんでした。私は窓側A席に座りましたが、指定席車両の座席はゆったりとしています。シートピッチ(座席間隔)が自由席と同じなので、多少圧迫感がありますが、元々新幹線のシートピッチが広く、前席の下が空間になっているため、容易に足を伸ばす事が可能です。
ここでも道中はスマホを操作して過ごし、寝落ちしないように頑張りました。そして『こだま875号』は定刻の21時27分に西明石駅に到着し、私は眠りに落ちる事なく下車できました。
 
 

 
西明石駅では在来線ホームへと移動し、21時35分発のJR神戸線下り普通・姫路行きに乗り継ぎました。225系8連+223系4連の堂々たる12両編成でした。225系は初期型の0番台でした。私は先頭車両(225系)に乗り込み、空いている転換クロスシート窓側席に座り、スマホをいじっていました。半分程度の席が埋まっていましたが、停車駅ごとに少しずつ乗客が下車していき、東加古川発車時点ではガラガラになっていました。そして普通列車は定刻の21時52分に加古川駅に到着し、今回も居眠りする事なく無事に下車できました。
 
 

 
下車後は『スマートEX』で使用の『PASMO』で出場しました。土曜日の夜でしたが、コロナ禍という事もあり加古川駅前は閑散としていました。私はとっとと帰宅しました。
 
今回は1泊2日と短く、物足りない部分もありましたが、天気が良かったので概ね予定通りの乗り鉄・降り鉄ができました。
特に2日目が暑く、途中でバテてしまいましたが、気合で乗り切りましたww
また、この頃はコロナが比較的マシな状況だったものの、陽性者数が増加傾向になっていたので、今後乗り鉄ができるかどうか心配でなりませんでした…。
 
 
(つづく)
 
 
今回の新規踏破路線、新規探訪廃線跡はありません  
 
 
(参考:Wikipedia)