前作で予告させて頂きましたが、今作より当別荘空前(?)の"跨ぎシリーズ"、題して『大峠をゆく』を始めたいと思います^
私Wo、この度迎えた人生の大峠を迎え、束の間のモラトリアム期間を過ごしております。"大峠とは何を指すのか?"についてあえて名言しませんが、勤め人ならいずれ訪れる(※近年これが無い会社もありますが)、人生で何回もない重要な節目です・
勤めている間なかなか行けなかった長期の旅、あるいは日程長めめにとったゆったりした旅等を、この期間中に纏めて行っておきたいと思っております。勿論いまだ続くコロナ禍の中なので、内容が大きく制約された中での旅ですが、いつもお読みの方ご存じの通り、元々僕の旅は基本一人旅なので飛沫ほぼゼロ、しかも密ともほぼ無縁のマイナーな所が中心なので、こういう時勢における旅の形の一つとして、のんびり連載していきたいと思っています
これから約1年に亘り、第1~7章までを予定、章ごとに場面(※行先)はガラッと変わります。"跨ぎシリーズ"としているので、長期になるため、章の間に一般作を挟む可能性もあります。
その第1章として、今作からおおくりするのは・
大分県・国東半島のツーリングから始めてみたいと思います。九州で初のツーリング作です。
九州への往復はフェリーに乗ったんですが、新規就航の航路だったので、そのプチレポートも付けます。では第1章の①、早速スタートです
夏のある日、↑夜の横須賀港へ着いたWo号
フェリーはここから出ます
本年(2021)新就航したばかりの東京九州フェリーで、北九州市・新門司港を目指します。
↑横須賀港ターミナル、出来たばかりの新しい建物
バイクの乗船開始は23:10、しばし待合室で過ごします
乗船時間になりました^
↑バイクは一番隅に誘導される
広い甲板を歩いて客室階へ
船名『それいゆ』、総トン数15.515t、全長222.5mとの事です(※同フェリーHPによる)
各階中央にはロビースペースあり、ゆったりした船内
客室は4~6階にあり、4Fには案内所・売店・自販機、5Fにはレストラン(※営業は各食時の1時間のみ)、6Fは浴場とミニシアターがあります。(※ジムとキッズルームはコロナ禍のため利用休止)
僕が宛われたのは4Fのベッドルーム。近年就航の長距離船には大部屋は設けられず、最安グレードでも個別スペースになる傾向です
船の探索をしているうち、出航の時間が。
岸壁をゆっくり離れる"それいゆ"
夜のとばりが降りた横須賀の街を、あとにしていきます
いよいよWo号は初の九州ツーリングへ、約21時間の船旅が始まりました
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海上での一夜が明け・
まだ人影ない早朝のロビーに、朝日がさしこむ
↑ロビーにある位置情報の画面、現在紀伊半島沖
夜中に洋上で雨だったようで、船窓が濡れています
長い船旅なので、ささやかながらイベントも用意されてました。↑"クロスワード"、時間内に回答を案内所へ提出すると、抽選で賞品が当たるというもの(※参加賞もあり)、けっこう長文のキーワードも多く、わりと難解でしたw
又、6Fのミニシアターで"プラネタリウム"を見せてくれます
見てみたんですが、星以外に"花火大会"とかの映像もあり、コロナ禍前の夏はこんな楽しみもあったなぁ・と、天井に輝く花火を見て、もう遠い日の出来事のように感じました
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順調に航海を続けるそれいゆ、やがて・
陸が見えてきました。↑四国・足摺岬です
2013年の『高知ツーリング』で訪ねた地です
夕暮れが近づいてきました。
足摺岬を廻りこむと日向灘へすすみ、船の両側に島影が増えてきます。東京九州フェリーは瀬戸内海は通らず、基本太平洋の航海です
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そして、豊後水道を抜けて周防灘へ入ったそれいゆ、再び夜になり~
21時、ゆっくりと北九州市・新門司港へ接岸します
車両甲板へ戻ります。
先に車から、この後バイク下船です
ガタガタっと桟橋を降りると・
ついにWo号、初の九州上陸を果たしました^
当別荘のツーリング作、北海道・四国につづきこれで九州も制覇し、レンタバイクで走った沖縄県も含めると、粗削りですが日本列島を走破という事になります(※感謝)
この夜は行橋市で一泊。
翌朝~
東九州道・行橋ICから、いよいよ目的地の大分県・国東半島へ向かいます
途中で日出バイパスへ分岐し、国東半島の入口、日出町へ着きました。
まずはJR日出駅へ寄って地図確認。日豊本線・別府駅から北へ5駅目で、大分駅からここで折返しの便もあります。まぁ同駅辺りまでが"大分近郊区間"でしょうか
ここで、第1章・国東ツーリングの概要を簡単に
九州の東にコブのように突き出た国東半島には2021現在、5つの自治体があります。この日出町、杵築市、国東市、豊後高田市、そして周防灘に浮かぶ姫島村、この5市町村の順に、今シリーズで全て廻ります^
シリーズ後半では、中津市や宇佐市の一部も走ります
最初に訪ねるのは、日出(ひじ)町です
街中に、観光案内所的な建物を見つけたので、入ってみます^
観光案内所・二の丸館です。
名の通り、この場所は日出城址の一端にあります。
城下町としての歴史もある日出、東九州道から日出バイパスが直結しているほか、先程の日豊線の駅もあり、アクセスは比較的よい街です。半島北側の豊後高田市(※本章最終回で行きます)と共に、国東半島のゲートタウンともいえます^
二の丸館にWo号を置き、早速・
日出城跡を見に行きます
その前に・
なにやら碑があるので、チェックしておきます。
日出城址の片隅に鎮座するのは、アノ音楽家・瀧廉太郎です
言わずもがな、名曲"荒城の月"作者として知られます
瀧は、生まれは東京ですが、代々ここ日出藩の武家の出身で、日出町では”楽聖”と呼ばれ、郷土の偉人として親しまれています
さらに歩いていると、防災無線のスピーカーから音楽が流れてきました。曲は勿論・
♫ 春こうろうの~、はなの宴~
でした^
日出城址は別府湾沿いの丘にあり、すぐに海が見えてきます
荒々しい感じの積み方が特徴の、日出城の石垣
この石垣は、野面積みの一種で『穴太(あのう)積み』と呼ばれ、近江国の石工集団・”穴太衆”が技術指導をしたと伝わります。
別府湾にせり出すように↑石垣が築かれています。
海への睨みも効かせていた、という事でしょう
(※天守は、廃城令で破却されました)
ここから見る別府湾は絶景です^
遠くには別府市の街並も見えます
石垣のたもとに建つ↑の碑は、"軍艦海鷹の碑"
元外航客船の”あるぜんちな丸”を改造して軍艦となった”海鷹”、人間魚雷"回天"の訓練にも使われたという事です。しかし豊後水道で敵の機雷により大破、この日出まで曳航され、そのまま終戦を迎えたとの事です。
しばし別府湾を眺め、歴史に浸りながら休憩しました
ちなみに日出の海といえば、特産・城下カレイも有名^
日出城、一名を"暘谷(ようこく)城"というんですが、冒頭ご覧頂いたJR日出駅の一つ隣が『暘谷駅』で、この日出城跡や町の中心街へは暘谷駅のほうが近いです
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日出の街をあとに、次は杵築市へ向かいます。
国東半島のコブをぐるっと廻る国道213号を走ります
八坂川を渡ると、杵築の街に入ります。
橋のむこうに↑お城が見えてきました、杵築城です
お城の周囲に”城山公園”があるのは全国的な傾向(?)^
先程日出城址を見学したばかりですが、2つ続けて城跡見学します^
杵築城跡、城門や天守等の建物は全て復元ですが、敷地は国史跡に指定されています
現地看板によると、元々は『木付城』と書いたそうです。
天守へむかう途中に、石碑や石仏等が集められている一角があります。↑看板の通り、城山公園石造物群といいます(※杵築市指定文化財)
様々な石仏さんや庚申塔など、市内や近郊各地から移設してきたものもあると思われます。そういえば、昨年の『奥多摩ツーリング』で訪ねた小河内ダムにも、水没した集落から移設して集めた石造物を集めた一角があったのを思い出しました(20.7.3up vol.347)
中でも、この地域独特のものが↑の宝塔で、その名も『国東塔』。一般的な宝塔にはない台座にのっているほか、一番上の尖頭部の比率がやや長めで存在感あるのが特徴です
そんな石造物群をすぎると・
天守がそびえています
1970(昭和45)年に再建された模擬天守です。
内部は、お約束の^資料館になっています
当別荘でこういう天守内の資料館、もう何ヵ所訪ねたか数えられない程になりました^
↑手裏剣の"免許皆伝免状"等、他城で見かけない珍しいものも^
階段の踊り場には~
再建が完成した日の、万国旗が翻る写真
あと城内には、市民の方々から寄せられた、入学や結婚等の節目に城で撮った記念写真が多数掲示されていて、杵築市民のかたが城に寄せる愛着を感じました^
市内の廃寺から移転してきた仏像さんも。国東半島は仏の里としても知られるので、今後本章中でお寺や野仏/石仏さんが数々登場します^
丘の上に建つ杵築城からは~
先程渡った八坂川の河口、守江湾を望みます。別府湾から少し奥まって位置します
この守江湾には干潟があり、当地では”ある生き物”で有名なんですが、この話は後程言及します^
城山から見下ろす↑杵築の街、この後、杵築の街ブラとなるんですが・
杵築の街、初街ブラです^
杵築には、全国でもここにしかないと言って過言でない風景があります。↑"坂"への案内板がありますが、杵築の光景は"坂"がキーワードと言ってもいい位です。これからたっぷり見ていきます^
↑"勘定場の坂"、長い石段です。市街の中心部にこんな長い石段がある事自体凄いと思うんですが・
坂の両側は武家屋敷、この石段、実際上ってみてホント長かった
約500mはあると思います
ようやく頂上が^
坂の両側に並ぶ武家屋敷ですが、公開されている所もあります
藩校の跡もありました。
その名もズバリ"学習館"といい、現在もこの裏手が杵築小学校で、小学生が今もこの門を通って学舎に入っているという、全国でも稀な『現役の藩校門』だそうです
坂の頂上までやってきました
先程"杵築の街は坂がキーワードだ"と書きましたが、全国でここだけの光景ともいえる、杵築城下町の特徴をみていきたいと思います
↑案内板右側、『日本唯一のサンドイッチ型城下町』とあります。まさに、杵築の街を端的に表しています。
↑杵築の旧市街は、丘が東西に2つあって、中央に谷間という地形になっています。その東西2つの丘の上が武家屋敷街で、真ん中の谷筋が商人街になっています。つまり2つの武家屋敷の丘が1つの町人街を挟み込んでいるという、いわば『サンドイッチ型』だ、という具合です。いろんな街を訪ねている当別荘ですが、こんな地形の街は見た事ありません
(※↑地図下方が、先程行った杵築城です)
次は↑の、東西の石段を下って、谷筋の町人街へ下りていきます。ホント"全国唯一"といっていい杵築の形状(地形)です
下っていきます
↑の灯篭で坂の中間あたりです。写真ではわかりにくいですが、坂の終りに谷筋商人街との交差点があり、そのむこうがさらに上りの石段になっています
谷間まで下りてきました
向かい側、西側の丘へ上がる前に(※後程、別の坂から上ります)、商人街を歩いてみます
今もいろんなお店が並ぶ谷筋の商人街、お土産の物色にもgoodです
路傍に↑古井戸がありました。
これは・
"岩鼻の井戸"といい、この谷筋で唯一の井戸だそうです。水道も自販機も無かった江戸時代、道ゆく人はこの井戸で喉を潤していたとの事。清掃は藩命で行っていた(※現地看板による)という事なので、重要な設備だったと思われます
東西の丘へ上る坂(石段)は数ヵ所にあり、いづれも坂のたもとに往時あった店や施設の名が付けられています。
ご当地が『日本唯一』と謳うだけあって、繰り返しですが、ホントこんな独特の光景の街は初めてです
↑杵築市役所、この谷筋にあります
そして、市役所の前にあった↑モニュメント、僕は予備知識なかったので少し驚いたんですが、杵築の海辺にはカブトガニが生息しています
杵築城前から守江湾を俯瞰した場面で書いた"ある生物"は、このカブトガニです。守江湾の干潟が、九州で数少ない貴重な繁殖地なんだそうです
瀬戸内で育った僕としては"カブトガニ"といえば岡山県の笠岡というイメージでしたが、現地でこういう事を初めて知るのも旅の醍醐味と思います
"おおいた遺産"にも指定されているとの事で、杵築の自然豊かさを象徴するシンボルとして、市民に愛されているとの事
市役所の近くにあった、↑謎のラッピングがされた自販機(※幻想の街風?)
↑『きつき衆楽観』という大衆演劇場も。街の賑いを出していこうという杵築の取組みが窺えます^
次に、西側の丘へ上がってゆきます
先程の東側の丘と同様、武家屋敷が並んでいるんですが(※現在は一般民家となっている所も)、西側丘の特徴として"寺町"もある事。江戸期、街を整備し武家屋敷街をつくる時に従前からあった寺院を1ヵ所に集約するのは全国の城下町でもみられますが、ここ杵築も行っていました
↑案内図によると寺院が6寺並んでいますが、その手前の角、”一等地”にカトリック教会があるのが面白い^
そのカトリック教会、門は↑和風になっています^
この隣からがお寺ですが・
特に印象深かったのが、↑南国風の並木(ソテツの一種?)が山門に誘う、養徳寺(※臨済宗)
山門の幕にも、この木のデザイン(?)が・
同寺、かつて"男はつらいよ"のロケで使われた事もあるとかで、杵築の隠れた名所といえます。同寺のソテツ並木は杵築へ行ったなら必見です
養徳寺の次には、正覚寺、妙徳寺、安住寺・と、各宗派のお寺がきれいに並んでいたんですが、6か寺とも特に観光化されてなく、訪問の際には配慮が必要と思います。
西側の丘の探索をおわり、谷筋へ戻ります
日本唯一といわれる『サンドイッチ型城下町』、ホント凄く印象的な街並(形状)でした^
"杵築を歩かずして街ブラ達人とは言えず"、と僕は断言しますw
今作ここまでです!
次の街へ向け、Wo号はさらに、国東半島の”コブの膨らみの奥”へ入ってゆきます
満を持して(?)始まりました大峠シリーズ、次作・第1章第2回では、国東半島の一番先端部を占める、国東市を訪ねます。お楽しみに^
(※2024.12 文一部修正)