1995年1月2日の撮り鉄日記

(この日記は1995年1月2日の内容だが、ブログ投稿は2021年9月11日)

前日の日記から続く…
(“次の記事”をタップで前日の日記)

さて、高崎出身のテツの友人N氏と、前夜からGUSTOで長居したり、カラオケしたりして、
早朝 上野5:13発の高崎行き電車に乗って高崎、
信越本線に乗り換えて上田へ…
(青春18きっぷ使用)

当時は信越本線が直江津および新潟までずーっと繋がっており、
横川~軽井沢も鉄路が繋がっていたし、
「しなの鉄道」や「えちごトキめき鉄道」は無く、直江津まで一気にJR信越本線だったのだ。

北陸新幹線は開通していない時代だ。

上田駅を出て、コンビニで弁当買って、電車の中で食う。
当時は115系のセミクロスシートが殆どだったので、ボックス席で食った。


新井まで行って、車窓からどこか良さそうな撮影地は無いか?とロケハン。

どこもかしこも撮影地が雪に埋もれて、足場が無かった。


二本木~関山の定番撮影地に行ってみようと思い、
関山に戻り、N氏の提案でバスに乗ることに…

しかしバスは、どんどん線路から離れてゆき、撮影地には行かないんじゃないか?
ということでバスを降りる。

そして、わざわざバスで来た道を歩いて引き返す。


定番撮影地付近に辿り着くと、あぜ道が雪で埋もれており、
定番撮影地への行き方がわからなくなっていた。

習志野ナンバーのクルマが停まっていた。

長野県なのに習志野ナンバーのクルマが、定番撮影地付近に停まっているということは、
おそらくテツだ!

クルマの中を窓から覗いて見ると、細長いケースのようなものがあった。
たぶん三脚を入れるケースに違いない。

絶対テツだ!


そう思って、雪の上の足跡を辿って行けば、撮影地に辿り着くと考えた。


すると、猟銃を持った男が、
こっちへ来るな!みたいな合図を俺らに向かってしていた。


あの細長いケースは、猟銃のケースだったのか!


やはり、撮影地は雪に埋もれているらしく道が無い。

もっと駅寄りの道から撮ろうと思い、向かっていると、
シュプールユーロが来ちゃった。

急いでカメラを出したが、間に合わなくて行っちゃった。


しかし見た感じ、雪で下廻りも隠れるくらいだった。


N氏と帰る方向へ…

俺は帰りの電車の中で寝落ちしてしまったが、
ふとうっすら目を覚ますと、
N氏は喋りたかったらしく、独り言をずーっと言っていた。

俺が目を覚ますと、N氏は「よく寝るねぇ」と俺に言った。
逆に言うと、N氏は俺よりもあまり寝ないでへっちゃらなようだ。

深夜にファミレスで長居して、カラオケ行ったりしたので、当然 今ごろ眠くなる。
それに比べるとN氏は体力がある。

普段からも、バイトと大学生活で忙しく、睡眠時間の少ない生活をしているらしい。
話によると俺なら無理なレベルの少ない睡眠時間だった。


長野駅前のマクドナルドで昼食。


アルバムに入れてきた最近自分が撮った鉄道写真を見せたりして、

そのあとは、もうまっすぐ帰る方向へ…


N氏とは赤羽で解散。

日暮里駅付近の公衆電話で、西新井のテツの友人、いなてぃす氏に電話して、明日のテツは行けないと断りの電話を入れた。


当時は携帯電話も無い時代なので、公衆電話から、友人宅の固定電話に電話するなんていうことはよくあったことだ。


その時代は、
友人宅に電話をかけると、友人のご家族、ご両親あるいは兄弟などが電話に出る場合も多く、
そうした場合は電話口に呼んでもらうことになっていた。

今の若い世代は経験ないのでは?


【了】
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