肌寒い日々から猛暑に戻りつつありますが、気候や気温の変化で9月病にならぬよう、皆様も体調管理にお気をつけ下さい。
9月病対策には太陽光を浴びたり、肉類や魚類・乳製品・大豆製品に含まれるトリプトファンの摂取が有効だそうです。最近は雨の地域が多いんですが・・・

今回は、長野総合車両センターにて国鉄車両で最後の「スカ色」を纏う「115系」の解体作業が完了したので、長きに渡り山岳路線を駆け抜けた115系山スカ色の活躍を振り返りながら別れを偲びたいと思います。(写真は113系スカ色)
では本題に入ります。
こちらは小学生時代に銚子で見かけた金太郎塗りの訓練車(1995年に廃車)、金太郎塗りのスカ色は2011年9月24日の“さよなら運転”をもって引退しました。

1963年から1983年にかけて1,921両製造された115系は、しなの鉄道をはじめJR東日本(新潟地区21両)やJR西日本(岡山・山口地区243両)でも活躍中ですが、クリームと青のツートンカラーの「スカ色」を纏う115系は、しなの鉄道で8月下旬まで活躍していた2編成が最後でした。
※上記車両数は2021年4月1日現在のデータ

そんな中央本線の115系は、1966年12月12日のダイヤ改正から、客車列車の一部電車化を図るため、70系電車「山スカ色」と同じ塗装で登場、1977年から長野地区の80系電車を置換えるため松本運転所にも新製配置されました。

1975年3月ダイヤ改正まで新宿発着(末期は1日3往復 / 甲府・松本・長野発着)の客車列車が走っていたそうです(写真はELレトロ福島号で代用 / 実際はEF64-0番台が牽引)

一部座席を撤去しミーティングスペースや視聴機材・ロッカーなど設けた改造車「モヤ115形」が組み込まれた訓練車W2編成は、前照灯が白熱灯用大型ケーシングをそのまま流用しシールドビーム化改造した異色の車両で、2014年1月28日をもって廃車となりました。

豊田車両センターに所属していたM40編成は、他の編成と異なり中央本線運用には投入されず、波動用として主に武蔵野線快速「むさしの号」(2010年12月3日で終了)用に投入、遭遇率が高かったM40編成は私の中で一番思い入れがある山スカ色ですね。※フラッシュは私のミスで出てしまった
しなの鉄道に譲渡された115系は、塗装工事を行うまでJR塗装のままロゴマークを貼り付けて使用する編成も存在していた。

中央東線での115系の定期運用は2015年10月28日に終了、2015年11月22日に運転された団体臨時列車「中央本線開業110周年記念〜ありがとう115系C1編成」(上写真右の車両を使用)を最後に、長野総合車両センター所属の115系も引退しました。

そして2021年8月27日に山スカ色のS16編成とS26編成の営業運転が終了、8月30日にJR東日本 長野総合車両センターへ送り込まれ解体となりました。廃車置場では彼らが製造された18~19年後に登場したE217系Y51編成(解体待ち)と並ぶという不思議な光景が見られた・・・

しなの鉄道115系は、現在3両編成12本・2両編成3本が活躍中(観光列車ろくもん除く)、後述の新型車両導入などで、山スカ色を含めて3両編成3本・2両編成4本が廃車となりました。
全て置き換えるまで長期化しそうですが、葬式鉄が荒らす前に記録しておきましょうね。


成田線開業120周年記念ラッピングとして、スカ色の帯を纏う常磐線・成田線E231系マト139編成が近いうちにラッピング解除される噂もあるので(9/21にTK入場とのスジが流れている)こちらのスカ色も早めの記録を。

タチの悪い鉄ヲタによる、急な運用変更のクレームや線路内立ち入り、路上駐車・通行支障など彼らに対する沿線住民からのクレームやら、しなの鉄道さんのご心痛お察しします。
撮影・乗車される際は、鉄道会社をはじめ近隣住民・乗客に迷惑かけないようご配慮下さい。
気持ち良く趣味を楽しみましょうよ。
態度のでかい非常識が多いから鉄ヲタ嫌い。
悪質な鉄ヲタには容赦なく法的措置を講じていただきたいですね。鉄道趣味のイメージをさらに悪くしていただき感謝申し上げます。
撮り鉄だけでなく酔っ払いなど厄介な連中に対してお客様扱いする必要ありませんよ。
