学生の頃の長旅ではユースホステル(YH)をよく利用した。安かったからにほかならない。YHといっても若い人には馴染みがないかもしれないが、今でいうドミトリー。一軒家もあれば、なんとか会館のワンフロアのこともあり、旅館の一部をYHとして運営するところもあるなど様々だった。共通していたのは、いくつかの2段ベッドが並ぶ相部屋か和室の大部屋での雑魚寝というスタイルであること。

YH独特の特徴として夕食の後にオーナー(YHの世界ではペアレントという)を囲んでの<ミーティング>というイベントがあった。これが僕にとっては結構苦痛だった。小学生のキャンプファイヤーじゃあるまいし、いい歳の青年男女が車座になってゲームじゃなかろうと思っていた。しかし、まだオタクという言葉はなかったものの「鉄チャン=根暗(ネクラ)」という世評もある中で、参加しないと本当の根暗と思われかねないので蛮勇を奮って参加したものだ。それでも参加は一種の修行だった。

(↓YHでは宿泊の度にスタンプをくれた)


YHは旅の印象を左右するものと言っても過言ではなく、旅行中は旅人どうしあれこれ情報交換が盛んに行われていた。あそこのYHのペアレントはミーティングに命をかけているとか、あそこは説教YHだとか、あそこの食事は豪華だとかいった具合だ。もちろんスマホや携帯はおろかパソコンすらない時代、情報交換はメールではなく、YHの部屋でだったり乗り合わせた列車の中でだったり、いずれにしろFace to Face。

鉄道写真を撮るには駅近のYHが便利だが、人気のYHは鉄道とあまり縁のない立地が多かったように思う。そんな中で記憶に残るYHがある。

(↓YHから程近い塩狩峠の有名撮影地にて)


一つは北海道の塩狩温泉YH。撮影適地の宗谷本線塩狩駅から近く、夕食はいつもきまってジンギスカン。味は◎。なので鍋を囲んだ初対面の者どうしすぐに打ち解けられる。鉄チャンの宿泊者も多く、ここで知り合った関西在住のKさんとは一緒に常紋を訪れ、今に至るまでお付き合いいただいている。

ここは旅館兼営のため忙しいのかミーティングがないのもうれしく、ペアレントさんの人柄もあって渡道のたびに訪れた。そしてYHを離れる際にはいつも「今度は新婚旅行で来て、旅館のほうに泊まりなさい」とおっしゃってくれるのだった。いつか再訪したいと長い間心の隅にとどめていたが、何年か前にたまたまストリートビューを見たら廃墟になっているではないか!! ショックだった。

(↓塩狩峠の和寒方にて)



もう一つはやはり北海道の斜里YH。釧網本線斜里駅(現 知床斜里駅)近く、というか(許されることではないが)駅のホームの端から改札を通らずに貨物側線を何本か跨いでいくと玄関という駅裏の立地。大学卒業直前の1月に訪れたが、ここはペアレントにかわり同世代の若いヘルパーが仕切っていて、毎晩夕食後にミーティングと称して飲み会が開かれていた。飲み会なら得意!?なので連泊して参加した。

(↓斜里付近にて)


ガチガチに冷え込んだ夜明け前に元鉄チャンのヘルパーEさんの運転する車でYHを抜け出し、Eさんの友人のAさんと共にオホーツクの流氷が見える丘に登って朝日に照らされてやってくる混合列車を撮ったことも懐かしい。Aさんにはその後札幌近郊の撮影地をあちこち案内していただいた。そうして撮った写真の何点かを拙著に入れた。

(↓YHのEさん、Aさんと共に早朝の釧網本線にて)


その後駅前旅館もYHとさほど違わない値段だと知り、YHの利用頻度も徐々に下がっていった。YH自体も時代の変化と共に数を減らしていったようだ。しかし、僕が社会人なりたての頃から初対面の人とも臆することなく話せたのはYHでのミーティングという <修行>のおかげかなと今では思うのであって、YHにはとても感謝している。