島原鉄道編はここで終わりです
入り組んだ入江が面白い区間でした
霊丘公園体育館駅
蒸気機関車が見えますねー
C12 01
デフレクターがありますがC12です
島鉄自社発注で昭和23年に日本車輛製
らしい
というのも詳細が不明なところが多い
看板では01と名乗っているが
実際のところは06に01のナンバープレートを
設置しただけという記述もある
01は新製時はデフレクターはなく06は初期から
設置してあったようなので信憑性は高い
霊丘とは霊丘神社から由来するもので
江戸時代この地を治めていた高力氏によって
建てられたことが由来とされる
高力氏は島原の乱後に徳川家光より
浜松より移封してきた
後に松平氏が移封し現在の名前になったそうです
駅名は2019年まで島鉄本社前でした
湯江駅と同じタイミングの改称ですね
入江や島が隣接(?)する区間です
まもなく島原船津駅です
島原船津駅
車両基地はここにあったのか
キハ2500がたくさん停車していました
車両工場の建屋?
ここで諫早行と交換します
(反対側は交換列車ではなく留置車両です)
日本の1号機関車が走っ。。
鉄道博物館で展示されている1号機関車のことです
交通博物館に展示される前は島原にいました
惜別感無量
感無量という言葉はこれで覚えた
紆余曲折あって島原鉄道にやってきた機関車ですが
価値を見出され東京に戻ることになったが
会社側は反対したらしいが
省は代替の機関車を送ることで
落ち着いたとかなんとか?
発車
救援車ワム80001&ヨ8001
1993年にやってきた車両
諫早→島原港
1540円
島原港駅
ここが終点です
無人駅で1面1線
2008年まではこの先にも営業運転をしていました
この先は雲仙普賢岳噴火により不通となり
1997年に運転再開した区間で
名前忘れましたが大きなトラス鉄橋が有名な区間でした
わずか11年で廃止とはもったいないですが
現在も残された路線はかなり厳しい経営を続けています
レールはまだ残っている
まだ現役線にも見えるが。。
おわり