所有事業者:東急バス (東京)

仕様・用途:一般路線仕様

登録番号:品川200 か 2997

社番:M1563号車

配置:目黒営業所

初年度登録:2015年

シャシー製造:三菱ふそうトラック・バス

搭載機関:三菱6M60(T2)型

車体架装:三菱ふそうバス製造

車両型式:QKG-MP38FM

車名:三菱ふそうエアロスター・ノンステップ

撮影日:2021年8月22日 (日曜日)

撮影場所:東京駅丸ノ内南口

 

一見、何の変哲もない東急バスのエアロスターですが、撮影した場所が “山手線内” となると、ちょっと貴重。

1970年代までは、山手線内にも民間のバス会社も路線バスとして乗り入れていましたけど、21世紀の今、東急バスだけではないでしょうか? そして、その東急バスが運行する東98系統は、23区内を走る路線バスでは結構な長距離を走る路線として知られています。以前は都営バスと相互乗り入れという形をとっており、東京駅から延々、何があるのかよく判らない等々力までを結んでいました。

 

東京駅丸ノ内南口を振り出しに、丸ノ内のオフィス街、皇居、日比谷公園、愛宕山、東京タワー、芝公園、三田 (慶応大学) ・・といった東京の “隠れた名所” を巡り、目黒駅へ。そこからは碑文谷、自由が丘、八雲といった閑静な住宅街を経て等々力へ至る路線でしたが、都バスの方は東京メトロ南北線開業による影響で、2013年に都バスは撤退して東急バスの単独運行となりました。

東京駅から等々力へはもう一本、 「東82」 という便も運行されていました。これも東急バスと都バスの相互乗り入れでしたが、 「東98」 が丸ノ内南口から発着するのに対して、 「東82」 は八重洲口から発着していました。また、 「東98」 が目黒、碑文谷経由だったのに対し、 「東82」 は南青山から青山通りと玉川通り (早い話が国道246号線) を経由して、等々力に至る路線でした。 

こちらは1984年に等々力-渋谷-東京駅間が系統分離されて、等々力-渋谷間は東急バスが受け持って 「渋82」 となり、渋谷-東京駅間が都営の単独運行となった後、1990年に渋谷-東京タワー間の 「渋88」 と統合しました。

 

先程もお伝えしたように、高速鉄道網 (この場合は地下鉄でしょう) が発展途上だった1970年代以前は、路面電車 (都電) とともにバス路線は重要な “庶民の足” で、都バスもかなりの路線網を築いていましたが、民間事業者も多くが山手線内に乗り入れていました。しかし、地下鉄網の拡大と、それに伴う私鉄や国鉄との相互乗り入れが彼方此方で実施されると、23区内、とりわけ山手線内の路面電車網や路線バス網は一気に衰退、都電は1972年までに早稲田-王子-三ノ輪橋間を除いて全て廃止され、都バスも縮小が相次ぎ、民間事業者は撤退を余儀なくされました。

東急以外では、近年まで京成バスが上野まで乗り入れていましたが、それも一瞬で、統廃合等でいつの間にか山手線内に乗り入れなくなり、やっぱり東急だけですね。コミュニティバスも含めれば、その数は増えますけど、やっぱり一般路線バスとコミュニティバスとでは扱いが些か異なりますからね。

 

「東98」 といえば、朝夕のラッシュ時のみ運行されていた 「首都高経由」 も忘れてはなりません。

1968年から設定された便でしたが、首都高速目黒線の起終点である荏原から霞ヶ関まで、首都高速を使って東京駅に向かっていた便で氏た。でも、この当時の首都高は放射線状に延びてなくて、どのルートも死ぬほど混んでいました。そのようなわけで、速達性が期待された割りには、首都高の慢性的な渋滞でその効果が得られず、1987年に廃止されてしまいました。

「東98」 じゃないけど、東急バスは高速道路経由の都心行き路線バス (E-Liner) を運行していますけど、広義で見れば 「東98」 はその先駆けになった路線と言えるでしょうね。今だったら案外、受け入れられるのかなって思ったりします。

 

「東98」 を管轄する東急バスの目黒営業所には、トヨタSORAが1台だけ配備されていて、 「東98」 にも時折、充当されるらしいです。それを狙ってこの時は東京駅に向かったのですが、なかなかその姿は見せてくれません・・・。

 

 

【参考文献・引用】

バスラマインターナショナル No.164

年鑑バスラマ 2015→2016

(いずれもぽると出版社 刊)

都バス資料館

ウィキペディア (京成バス、京成タウンバスなど)