町田市営地下鉄モハ1000形 | まほろ市発なんでもありのブログ

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鉄コレ横浜市営地下鉄を改造して、町田市営地下鉄モハ1000形を作ってみました。



ここからは架空のお話です。

昭和40年代、団地等も造成され、ますますベッドタウンとしての進化を遂げた町田市。

しかし交通未発達な部分も多く、バス等でカバーしきれない所も多かったようです。

そんな昭和48年4月、国鉄原町田と木曽間に開業したのが町田市営地下鉄でした。

将来的に近隣の私鉄、相模中央交通鉄道部や、八王子電鉄、神奈川中央交通鉄道部等と相互乗り入れを想定し、架線集電式を採用し、600v、1067㍉として開業しました。
車体の外見は前年に開業した、お隣横浜市営地下鉄1000系に準じた車体でしたが、建設費を抑える為と、乗り入れ先の私鉄の規格に合わせるため、機器は全て中古品で賄われました。

種車となったのは元京福電鉄福井支社や、福井鉄道、北陸鉄道、西東京バス鉄道部等から購入した旧型電車。制御器はHL 。
お隣横浜市とは異なり、地下にものすごい轟音と騒音を撒き散らし、日本で一番うるさい地下鉄の異名を持っていました。

その後路線は同年12月には城山湖まで、昭和51年には南町田まで延伸しました。

中でも常盤⇔城山湖間は単線であり、複線敷きの高架線を単線の地下鉄電車がタブレット交換をするという、東京都下とは思えないようなのんびりした風景がありました。

後に新城山と高尾間が開通し、城山湖支線を除き、複線化が完了。
平成3年には1500vが完了。
最終的に5両編成化された1000形は、カルダン駆動と冷房化された一部を除いて廃車となりました。

横浜市営地下鉄1000系に似たステンレス車体だったので、引退後は神奈川中央交通、相模中央交通鉄道部へ譲渡し、平成13年まで活躍しました。
町田市営地下鉄に残ったものも、平成13年まで活躍しました。





架空の物語にするため、ドアを片開きに改造し、屋根にはパンタを増設しました。

台車は京福電鉄から譲り受けた中古品という想定なので、D16形です。

するととんでもなく如何わしい地下鉄電車が完成しました。

ただ方向幕等が準備出来ず、そのままなのでゆくゆくは高尾や町田などにしたいですね。

いままで頭の中に描いていた架空私鉄の一つが形に出来て良かったです。