日本初優等列車以外で冷房装置を搭載した5500系パノラマカー:7000系の成功により冷暖房完備の"2扉クロスシート"名鉄電車のサービススタイルとして確立したものの、急増した通勤客に対処できず中古電車を購入せざるを得なかった"しくじり"から20余年、名鉄グループで車輌を巡るトラブルで列車遅延が発生する出来事がありましたガーン

豊橋と田原を結ぶ豊橋鉄道渥美線。前身の渥美電鉄時代の生え抜きから名鉄中古東急・長電などの中古車が代わる代わる導入されていきます。架線電圧600Vのままでしたが、施設の近代化最高速度引き上げ(60km/h→75km/h)全車冷暖房車化を図るべく1997年7月に1500Vへ昇圧し、その際に元名鉄7300系に変更し車種も統一されました。
豊橋鉄道渥美線7300系
新豊橋ー柳生橋
1998年11月3日
名鉄7300系は1971年、パノラマカー(7000系)の第7次車をベースに正面貫通路を設けた車輌でこの年から西尾線・蒲郡線や尾西線、広見線から本線へ乗り入れる支線直通用の特急車として整備されました。先述のように正面は切妻型で貫通路が付いています。正面は平凡ですが車内は転換クロスシート(戸袋部分はロングシート)で通勤通学から観光用まで幅広い用途での活躍が見込まれました。しかしそんな7300系もひとつ…他の7000系グループと異なることがありました。それは
名古屋鉄道名古屋本線
各駅停車犬山行き
7300系4輌編成
知立
1989年1月3日
3800系や800系の走行装置を流用して誕生した車輌(釣り掛け駆動、イコライザー台車)です。そのため乗り心地は悪く加減速も低かったため、さすがに1978年より新造の住友FS36ぺデスタル式台車に履き替えられました。

平成初期まで活躍した
名古屋鉄道800系
新木曽川
1989年1月3日
7300系は3800系のほか800系を種車となっており、登場時にはD-18台車もそのまま使用された。車体こそ真新しいものの乗り心地や加減速もそのままで、通常の7000系では起動加速度は2.3km/h/sに対して1.8km/h/s、歯車比78:15=4.875に対して61:19=3.21(3800系など一般的なAL車と同一)で連結器はAL車と同じく並型自動連結器が取り付けられ、パノラマカーシリーズ(7000系・7500系・7700系)が用いる密着自動連結器とは連結が出来ず早くから普通列車を主体とした運用となっていた。

1997年7月、豊橋鉄道渥美線が1500Vに昇圧し、これを契機に全車輌を名鉄7300系に置き換えて全車輌冷房化と車種統一を図ります。
三河田原に到着した"なのはな号"
モ7304+ク7204
三河田原
2000年10月10日
豊橋鉄道へは28輌(他に部品提供車として中間車2輌も有)が移籍雑多な在来車は名鉄7300系に置き換えられ、一部には中間車含む4輌編成がそのまま入線しています。当初は正面行先表示を方向板を使用していましたが1900系などに使用していた電照式方向幕(手動)を移設し塗装もクリーム色の帯を巻き豊橋鉄道仕様に改めています。
そのなかで7304F(モ7304+ク7204)はカナリアイエロー黄緑帯"なのはな号"、7307F(モ7307+ク7207)は水色白帯"なぎさ号"としてデビューしました照れ
しかし、ここで名鉄グループ呪縛"2扉クロスシート車"である事が、豊橋鉄道渥美線名鉄3880系導入に至る或る問題を引き起こしてしまいますガーン
登場時は方向板を使用した
豊橋鉄道7300系
高師車庫
1997年12月
当初は冷暖房車・パノラマカー並みの車輌に交代しサービス向上と思われましたが、ラッシュ時を中心に遅延が発生します🚃…🚃…
原因は7300系でした。3800系800系を種車とした低出力の釣掛駆動ギヤ比を大きくする事で高速運転を可能としていたため起動加速度が低いうえに2扉クロスシート車内での乗客動態を低下させてしまい、せっかくの12分間隔運転ダイヤが更に事態を悪化させ再度15分間隔ダイヤに戻す事態となってしまいました。
豊橋鉄道ではワイパーの電動化主抵抗器の更新などを行なったものの事態の収拾に目処が立たず東急電鉄より廃車となる7200系に置き換えが決定します。
短命なものは2000年に廃車となり豊橋鉄道では
僅か3年
で廃車となり、予備車として残置していた7304F(モ7304+ク7204)2002年3月一杯で廃車となり僅か5年で28輌が廃車となりましたびっくり
廃車となったなった電車は処分しなくてはいけませんショボーンガーン。そこで2001年に豊橋鉄道は"超過激!電車丸ごとプレゼント"として7300系を無償譲渡先を探し、数輌が個人を中心に引き取られていきました。