皆様こんばんは。ブログおよびホームページ管理人の神@北見です。

 

今日は9月3日ということで、深名線最終日にちなんで同線の思い出を振り返ってみたいと思います。

 

↑晩年はキハ53 500の単行運転のイメージが強い同線ですが、同線の朝一及び終列車は3連でした。これは同線はキハ53 500単行の3運用で運行されていましたが、早朝に旭川から3両で深川まで回送されたのち、そのまま3連で朝一の朱鞠内行きに充当、幌加内で1両切り離し、朱鞠内では更に切り離し1両は深川へ折り返し、1両は名寄行きに充当されるというように運用されていました。最終列車も同じく同日運用されていた3両を朱鞠内・幌加内で回収し3連で旭川へ帰る運用でした。

 

↑最後の年の夏休みに入ると、増結が始まるようになり最初は苗穂で保留車のセミクロスシート北海道色のキハ56 148が混入しました。

 

↑政和の丘で俯瞰しましたが、微妙な2連になっています…。

 

↑幌加内峠の頂上で撮影。うーん、急行色のキハ56がやってくれば編成美が良かったのですが…。

 

↑西名寄~名寄の天塩川橋梁を渡る深名線列車です。通常単行のところ2連で来ました。

 

↑宇摩~幌成 この列車はキハ54を増結して2連です。

 

↑キハ56使用の団臨もやってきて、定期併結で運行されました。

 

↑最終日ともなると軒並み5連や6連に増結されました。

 

↑休日は寝ている札沼線用のキハ48も応援にやって来ました。

 

↑最終日は曇りがちで、午後になってくるといよいよもう最後か…という何とも寂しい気分になってしまいました。

 

↑最後の駅名板の輝き。もう明日からは灯らないと思うと悲しい気持ちになりました。

 

そして当日運用された車両を朱鞠内・幌加内で併結して最終の深川行きは幌加内からは何と10連で深川へ向かいました。

 

 

あれ以来廃線という状況には立ち会っていません。深名線廃止から既に26年経過し、当時は大賑わいで列車がホームからはみ出ていることもありホーム外からよじ登るとか今考えるとスゴイ状況ですが、特に大きなトラブルもなかったと思います。現在はちょっと何かあるとネットやニュースに上がり、あまり行く気にはなりません。

 

 

今回も最後までご覧いただきありがとうございました。それでは次回もお楽しみに!