山陰西部で出会った船底テンダーのD51 | 今日も まっ晴れ! 鉄道回顧録

今日も まっ晴れ! 鉄道回顧録

主に古い鉄道写真をアップしています。ブログ内の画像はコピー・転載は一切禁止でお願いします。

 

 現役蒸機終焉期のころでもD51はかなりの数が居て、両数が多いだけにバリエーションが豊富で個性的な機関車が多く、中でも戦時型のD51は戦後に性能に関係のないデフやドームはそのままの罐や程度の差はあれ標準型に寄せ換装された罐など戦時型D51だけでも一両一両本当に様々な形態のD51が存在していました。

 

 

 風景重視で撮っている私でもシルエットで形式が判別できるようなアングルで待っている時にカマボコドームのD51が来たときは正直残念な思いがしたものです。 それがどうしたことか移動の関係などで仕方なく線路際で汽車を待っている時に限って やって来る確率が高かったのが角張った簡易デフにカマボコドームのD511067なのです。

アングルで縁取られた角張ったデフに

カマボコドーム

この↑角度から見るとボイラーケーシングにテーパーが付いているのが良く判ります。

近代蒸機はドーム後方のグラマラスなカーブが魅力の一つなのですが

テンダーはもちろん船底テンダーです。

たしかD511067は他の3両の機関車とは異なり長らく東北スジに在籍していた筈で、戦時型D51の換装の程度にも地域差があったのでしょうか?

 

 でも歳をとったせいなのか?いま改めて戦時型D51をみてみると、これはこれで昭和の歴史を感じられて中々魅力的に見えるから不思議です(^^

 

  船底テンダー機でも一番の変わりダネは やっぱり標準型のD51385です。(写真は前出)

シールドビーム(LP405)の前照灯はカマボコドームより残念でした。

 西浜田-浜田間の海を見下ろせる処で2度D51貨物を待ったことがあるのですが、不思議なことに2度とも此の長門区のD51385でした。 (上の写真は前出)

 

 

大雨警報が出ている中を行くD511044 (前出)

テンダー側面は水槽部と炭庫の接合部がデコボコで、これは戦時輸送の為に慌てて作られた証しで、戦争の痕跡が自分が知っているこんな時代まで残っていたと思うと興味深いです。

砂箱のケーシングは光沢がありカマボコ型が余計に強調されています。

シルエットではドームが道具箱のようにも見えます(^^ゞ

 

給水塔がある大田市駅を発車する

 D511044はデフを標準化されていました。生涯のほとんどを山陰本線中・東部で過ごした機関車なので施工工場は後藤工場でしょうね。

 

 

 

船底テンダー以外 機関車はほぼ標準型に換装されていたD511054

D511054は関西本線で馴染みある元亀山・奈良区の機関車です。

 長門区の機関車は広島工場が担当していますが、蒸機終焉期なこともあって標識灯と煙室扉エプロンは関西本線時代のまま仕業に就いていました。

 関西本線時代は当然 集煙装置とB型重油タンクを背負っていましたが、長門区に転配されて重装備品を外されました。集煙装置を装着していたため煙突は短縮されてますが、長門区では回転火の粉止めを装着しているので短くなった煙突がそんなに気になりません。

 ただサイドから見るとB型重油タンクを装着していた為にドーム後部を真っ直ぐに切断されてしまっているのが残念です。

 

 当時は「カマボコドームが来た」とか「なんだシールドビーム機か・・」なんて落胆したものですが、画一化された今の鉄道車両とは違いいま改めて見ると本当に味わい深い機関車たちですね(^^

 

 

D51230と離合するD511044

山陰本線 田儀 1972年8月26日

 

でも、やっぱり自分はこう言う写真のほうがイイです(^^

 

最後まで御覧戴いて ありがとうございました。