緊急事態宣言発出中…ということもあって徘徊も自粛しており、通勤以外は家に籠っていることも多くてブログネタも枯渇気味であります。
 東京の住まいと信州の家の間を行ったり来たりすることも控えており、過去画像を眺めては少しでも高原の朝晩の涼しさを思い起こそうとしています。

 もうかなり前の画像になりますが、これを撮影したのは当時使っていたスマによるものでした。
 そのスマホのカメラ機能といったら酷いもので、ピントが合うまでに時間がかかるわ、被写体が動いているとボケてしまうわ、シャッターの「◯」タップしても反応が遅くて十分に引き付けて撮影しようとするとほぼ失敗してしまうわというシロモノでありました。
 当時のスマホのカメラ機能なんてそんなものだったのかもしれませんが、それまで持っていた普通の携帯電話のカメラの方がはるかに美しく撮影できていました。

 以下のふたつの画像は、当時同じ場所の同じ時刻の朝に撮影したものですが、季節が違うので影の長さもずいぶん違います。

 現在のしなの鉄道北しなの線JR東日本信越本線だった頃の画像です。
 両端がクハ183、中間の4両がモハ188・189という長野総合車両センター所属のN101編成が直江津発長野行快速列車「妙高2号」としてやってきた姿を撮影したものです。
 前述した「あのスマホ」にしてはマシに撮れたかなという程度の画像です。
 本当はお昼くらいが順光でいいのですが、時間の都合で朝しか撮影できなかったものです。
 残雪の黒姫山、その左奥には戸隠の山並みが朝の陽光に雪を輝かせています。
 東京では既に新緑が萌えている5月…北信濃は遅い春の最中でした。
 N101編成は183系と189系の混成なのでもちろん特急「あさま」として碓氷峠を往来していたわけではありません。両端のクハ183は総武本線地下区間に対応するためATC取り付け改造が行われた1500番台。国鉄時代に新製配置された新潟から幕張を経て長野へと転属してきた車両で、転属してきたときには長野にもともと配置されていた189系に合わせて「あさま色」に装いを変えていましたが、のちにこの編成は画像の国鉄特急色に戻されて廃車を迎えました。
 こちらは「あさま色」の…あまりにも酷い画像で編成が特定できません。
 当時、長野総合車両センターに所属していた189系はN101編成の他にN102編成、N103編成がありましたが、前述のようにN101編成は国鉄特急色に戻されていましたから、残る2本のうちどちらかということになります。

 N102編成は純然たる189系で組成された編成で、新製配置された国鉄長野運転所時代以来の長野所属車両。
 一方N103編成は全国的に行われた急行列車の特急格上げに伴い、特急列車を短編成化させることによって余剰となった中間車両同士を連結して編成を増やすことによって不足する制御車(運転台が付いた車両)を余剰となっていた485系付随車に運転台取り付け改造を行ったクハ188が両端に連結された編成でした。画像が酷くて断定はできませんが、クハ188の特徴である側面の列車種別行先表示器の窓が側窓の上にあるような気がします。

 いま持っているスマホは4代目…ずいぶんカメラ機能が良くなりました。





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