私が初めて三江北線を訪れたのは昭和46年 中学2年生夏のことでした。 その頃に注目されていた信州や北陸方面には未だC56が多く運用されていたので、ブームの最中でしたが三江北線の浜原や粕淵のような山陰の山奥で他に撮影者に出会うことはまずありませんでした。
何度か訪れた三江北線のなかでも今でも思い出すのが中学2年から3年に上がる年の春。
強い寒の戻りがあり、4月1日の昼頃から三江北線の最奥あたりは季節外れの積雪に見舞われ思わぬ雪景色のプレゼントとなりました。(下記↓参照)
雪の粕淵駅 | 今日も まっ晴れ! 鉄道回顧録 (ameblo.jp)
C56106が夕方の上り貨物列車を牽いて粕淵駅に入って来ました。
三江北線 粕淵 1972年4月1日
391レとして9:51に浜原に着いたC56は浜原駅構内で貨車の入替えや帰りの貨物列車の組成を済ませると夕方の17:32まで動くことはありません。
次の上り列車を待っている坊やがジュース片手にホームへ出て来てC56を眺めています。
三江北線 浜原 1972年3月29日
浜原駅前にあった国鉄バスの停留所
(下の2枚の写真は8mmムービからキャプチャーしたものです)
「国鉄自動車」と書かれているところが面白いですね。
中核都市の大田市へ行くほうを上り
地方へ行くほうを下りとしているところが国鉄らしいです。
三江線が未だ全通する前なので三江北線の終着駅浜原から三江南線の口羽までを繋ぐバス路線かと思いがちですが、下りは三江南線から離れた所の赤名へ行ってたようです。
春雪の「江の川第一橋梁」を渡る391レ
三江北線 赤塚-粕淵 1972年4月2日
三江北線は1972年7月梅雨末期の集中豪雨で甚大な被害を受け、上の写真の「江の川第一橋梁」は流失してしまいました。(以下、参照 三江線 ガーダー橋だった江の川第一橋梁 | 今日も まっ晴れ! 鉄道回顧録 (ameblo.jp) ) 赤塚-粕淵間の江の川第一橋梁が流失したこの災害で三江北線は暫定ダイヤが組まれ、C56の牽く貨物列車は途中駅の石見川本までしか入らなくなり、この豪雨災害以前と以降との三江北線の写真では一線を画し、浜原や粕淵付近のC56の写真はかなりレアだと思います。
野井付近を走るC56貨物
三江北線 赤塚-粕淵 1972年4月2日
「昭和47年7月豪雨災害」で三江北線の旅客列車は同年10月から江津-赤塚間に短縮されてしまいましたが、赤塚以遠は上記写真の仮乗降所が設けられた野井地区まで行き、そこから粕淵までは渡船で江の川を渡っていたと言うのですから、被災以降も何度も当地を訪れていたこともあり、その時の様子も見てみたかったと後悔する事しきりです。
下の写真も8mmムービからのキャプチャーです。
中学2年生の頃は買って貰ったばかりの8mmムービーカメラで撮ることが面白くて、三江北線の写真も8mmムービーで撮っていることが多かったのが今となっては残念です。
391レで粕淵に到着したC56が本線まで出て来て貨物の入替え作業をしています。
三江北線 粕淵-浜原 1972年3月30日
粕淵で貨車を数両の貨車を切り放したC56貨物が終着の浜原に向け発車して行きます。
三江北線 粕淵-浜原 1972年3月30日
こちらは夕方の394レ
江の川付近まで出てきて貨車の増結作業をしているようです。こうして本線まで出てきて貨物の入替え作業をするのは当時の貨物取り扱い駅では当たり前の風景でした。
三江北線 粕淵-赤塚 1972年3月29日
17:46 日も暮れた粕淵を出発してきました。
三江北線 粕淵-赤塚 1972年3月29日
上りのC56貨物が江の川を渡って行きました。
今では上流に「曙大橋」と言う立派な橋がかけられていますが、当時「江の川第一橋梁」は鉄道と歩道の併用橋で、対岸地区の人達の生活道路でもありました。
三江北線 粕淵-赤塚 1972年3月29日
三江北線のC56の写真をこうしてブログや動画に載せると「私も三江北線へ撮影によく行きました」などと言うコメントを戴いたりすることがありますが、大抵は昭和47年7月豪雨災害以降の石見川本までの貨物列車で、個人的には当災害を境に意味合いが全然違うように思っています。 因みに粕淵や浜原付近の三江北線最奥の写真は鉄道雑誌やネット上で他にお二方の作品しか見た事がありません。 まぁ自分のは中2の中坊が撮った稚拙な写真ですが・・・ね(^^ゞ
最後まで御覧戴いて ありがとうございました。