今更ですが…「いなほ1号」の列車番号は1Mだった | 空の下、レールの上を人生と共に(JNR Forever)

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私が最も多く乗った優等列車「いなほ」の列車番号が1桁、「いなほ1号」が1M、それも2020年3月ダイヤ改正からだったと今になって知るとは、全くもってお恥ずかしい話です。

 

列車番号1Mは、かつて「第1こだま」、東海道新幹線開業後の「つばめ」、583系「はつかり5号」など、錚々たる名列車に与えられた列車番号です。

一方で登場当時の「とき」も1Mで、電車特急がはるかに少なかった時代には「ステイタス」の列車番号だったことがうかがえます。

 

「いなほ」はキハ81でデビューした当時は2011D、「とき」が2001Mから始まった時代で、上越線系統であることからの列車番号でしょう。

日本海縦貫線の電化が完成し、上野-秋田・青森間(上越・羽越線経由)を485系で運転された時期は、2041M~2045M(上りは2042M~2046M)でした。

 

2041M 特急 いなほ1号

485系12連[盛アオ]

1978.4.29 上野

 

2043M 特急 いなほ3号

485系12連[盛アオ]

1979.3.27 北余目-砂越

 

2007M 特急 いなほ7号

485系(3000番台)6連 クロハ481-3027[新カヌ]

2003.3.19 新潟

「白鳥」を系統分割し、青森で「はまなす」に接続していました。

 

思い出多い「いなほ」ですが、E653系に置換えられてからは一度も乗っていません。

コロナ禍で自粛していた影響もありますが、山形の親戚が代替わりしてから足が遠のき、「あけぼの」が廃止されてからは羽越本線のページを開くことも少なくなっていました。

 

かつては4001Mだった「ひたち1号」も現在は1Mで、もはや良いか悪いかではなく、国鉄時代とは違うのだと考えることにします。