皆さんは、列車名としての 「はくと」 は何を連想しますか?

大半の人は、智頭急行の 「スーパーはくと」 を思い浮かべるのではないかと思うのですが、 「あぁ、 「つばめ」 の姉妹列車?」 「それは 「はと」 やがな」

確かに 「スーパーはくと」 は速くてかっくいいですよね。でも、少数派だとは思うんですが、中にあれをJRの特急と思い込んでいる人もいるんですって。まぁ、よほど鉄道のことに詳しくなければ、JR線を走っているし、京都駅にも大阪駅にも乗り入れるので、JRの特急と間違えても批判は出来ません。

今回は、 「スーパーはくと」 の話ではありません。

国鉄時代にも 「はくと」 を名乗る列車がありました。

 

 

それがこちら。

京都-米子間を走る急行で、こちらは漢字書きの 「白兎」 でした。

気がついたらいたような感じにしか見えないのですが、列車名として採用されたのは今から65年前。勿論、現在の 「スーパーはくと」 とは血縁関係はありませんが、山陰地方への列車だとついつい命名したくなっちゃうんでしょうね。

 

東海道本線が全線電化完成した昭和31年11月の改正で、京都と松江を結ぶ準急列車に 「白兎」 と名付けました。実はこの列車、山陰本線京都口初の優等列車として名を馳せています。愛称の由来は説明するまでもなく、山陰地方に伝わる神話 「因幡の白兎」 です。

翌年には米子まで運転区間が短縮されてしまいましたが、昭和36年10月の改正で気動車化=急行に昇格します。この時、大阪発着便も設定され、それについては福知山線経由だったと推測されますが、基本的には京都から山陰本線一筋で西へ向かっていました。目的地も変遷を重ね、36.10改正時は運転開始時の松江行きが復活し、昭和45年には出雲市まで延長、50.3改正からは上りが大社線の大社発として利便性 (?) を高めました。

山陰本線には 「まつかぜ」 「はまかぜ」 「あさしお」 「やくも」 ・・といった特急が走っていましたが、 「白兎」 はどの特急のフォロワーに属さず、しかも運転開始から廃止までずっと1往復運転を継続していたことから、そういう意味では 「孤高の存在」 だったのかもしれません。

57.11改正で運転区間が米子まで短縮されまして、しかも鳥取-米子間は快速運転となりました。

国鉄最後のダイヤ改正となった昭和61年11月に、 「あさしお」 に吸収される形で廃止されてしまいました。

 

 

こちらは昭和60年現在の 「白兎」 の時刻表になります。

画像が昭和60年3月23日撮影とのことなので、時間的にはドンピシャリとなります。

多分、管轄は米子機関区 (米ヨナ) じゃないかな。

朝のラッシュ時に塒の米子を出発して、鳥取までは快速運転。そして鳥取から急行になって京都まで走り、小休止した後、下りの 「白兎」 で塒に戻る・・・といった感じでしょうか。

 

山陰本線京都口の優等列車といえば、特急 「あさしお」 と急行 「丹後」 がありましたが、 「白兎」 も是非、お忘れなく・・。

 

 

【画像提供】

い様

【参考文献・引用】

日本鉄道旅行歴地地図帳第9号 「大阪」 (新潮社 刊)

国鉄監修・交通公社の時刻表1985年5月号 (日本交通公社 刊)

ウィキペディア (あさしお、因幡の白兎)