こんにちは。
今日はED75機番シリーズの第128回、754号機です。コマ数は多い方ではありませんでしたが、色々な列車を牽引する姿を捉えていました。
ED75 754[秋] 1972年落成
国鉄時代は秋田生抜きで民営化を迎え、JR東日本へ継承されます。
最初の撮影はJRになってから、駅撮りです。特急たざわで弘前に降り立ち、接続が五能線への列車だったので、1駅乗って駅で客レ2本撮影できる という算段だったようです。713号機の後に50系6連を従えてやって来ました。手持ち撮影後写真の列車に乗車したようです(笑)。この日は弘前で祭りがあるから、だったかな?増結列車が多かったと記憶しています。
難読駅名の1つでしょうか?↓
1993/05 奥羽本線 撫牛子駅 631レ
上記631レに乗車して鶴ヶ坂へ。夕刻の列車、青森からの返し運用は12系2000番台の5連 快速列車でした。暗くなって来ていて1/60secを切ったとメモがあります。ライトがそれっぽい感じです。
1993/05 奥羽本線 鶴ヶ坂-大釈迦 3640レ
奥羽本線の客レ廃止を間近に控えた秋の写真、50系5連も長めでした。
1993/11 奥羽本線 大釈迦-鶴ヶ坂 623レ
その後、[青] 青森区へ転属し、東北本線系を中心に活躍を続けます。どうやら全検を通った直後だったようで綺麗です。奥羽本線客レ廃止でED75秋田車に沢山廃車が出た中、検査切れが近かったと思われますが良く生き延びましたね。碍子が緑です。
1994/07 東北本線 陸中折居駅 2523レ
雪景色の奥中山 峠のサミット付近を行きます。雪を付けていい感じ..撮る方は寒いですが..(笑)。
1995/01 東北本線 奥中山-小繋 529レ
磐西での臨客牽引の姿も見られました。客車7連ですから”サロ東”時代ですね。原版よりKE77開放栓ケーブルを上り方にも付けたまま走っていたのがわかります。秋田区時代の名残ですね。碍子は白くなっています。ナナゴーの場合、緑碍子は大抵全検出場後暫くだけのようです。
1995/05 磐越西線 更科(信)-翁島 9234レ
今度は尾久座”江戸”を牽引 754号機は運転室側窓がユニットサッシ化されていました。
1996/01 東北本線 東白石-北白川 9115レ
冬の峠道を行く寝台特急”あけぼの”です。撮影ポイントを求めて深入りし過ぎました..
1997/03 奥羽本線 陣場-津軽湯の沢 1001レ
14系臨時急行”八甲田”の先頭で発車を待ちます。乗客の動きがもう少し写り込めばなー..
上り方、KE77開放栓ケーブルは外されていました。
1997/04 東北本線 青森駅 8108レ
小牛田のキハ40,48を連れてやって来ました。郡山工場への入場回送でしょうか。今も同じ列番のスジが設定されていると思います。
1998/10 東北本線 南福島-金谷川 配8548レ
逆光で紅葉を浮き立たそう でしたが、ちょっと足りなかったですね。14系お座敷”ゆとり”を牽引、6連になった以外は上記磐西の”サロ東”と見た目は殆ど変わりません。でも”サロ東””ゆとり”どちらも撮っていた機番は少ないんじゃないかな。
1998/11 東北本線 白坂-新白河 9103レ
754号機唯一の貨物列車牽引の姿、前ソシロナナゴとの重連が行きます。
この撮影が最後になりました。
1999/02 東北本線 三戸-目時 3080レ
754号機は翌2000年に廃車になっています。客レ、臨客、寝台特急、配給、貨物列車..様々な活躍の姿を見ることが出来ました。
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以上ED75 754 機番シリーズNo.128、最後までご覧いただきありがとうございました。