前回の記事で申し上げたとおり、今月は恩田→長津田の逆順です。

 

ただし長津田検車区へのアプローチはいつもどおりで、つくし野駅を降りて歩き、JR横浜線の踏切を渡って、検車区全体が見渡せる陸橋に至ります。

その途中の「谷底」には…2020系が在線していました。

 

2020系も増えた

 

残る8500系はあと5編成です。

 

それでは検車区全体を俯瞰しましょう。

陸橋の上から数えたら、8500系の留置編成は3編成でした。残り2編成は運用入りしているということなのでしょうが、それにしては途中ですれ違わなかったな。あるいは南栗橋で寝ている?

 

「ひつじでんしゃ」の姿もある

 

今日のこどもの国線は、「うしでんしゃ」で運用を回しておりました。

なお、↑の写真、左側に5000系列が2本並んでいますが、右側(2020系の左隣)が4000番代の4102Fです。

 

そしてこちらは、陸橋をやや右側に移動して撮影したもの。屋根上に冷房装置が1基しか載っていないのが5000系か2020系、4基載っているのが8500系です。この写真でも、屋根上だけで8500系が2本あるのがわかります。

 

「Bunkamura」8637Fがある

 

いよいよ8500系の淘汰も、本格的なカウントダウンに入ってきました。

ちなみに、東急から8500系が退役すると、

 

① 全車両VVVF化達成(大手私鉄では京王・東京メトロ・相鉄に続く4社目)

② 「第1世代のオールステンレスカー」が東急の路線から完全に消える

 

ということになります。特に②は、東急がオールステンレスカーの導入をリードしてきた歴史があり、その歴史に鑑みると、昭和37(1962)年の初代7000系の導入から実に60年経って、第1世代が全て東急の路線から消えることになります。これはまさに、東急の歴史の大きな節目になり得る出来事です。

 

洗浄線に目をやると、「TOQ-I」のご尊顔を拝むことができました。

 

顔を拝むチャンスは意外に少ない

 

写真右側の場所には、相変わらず3020系の中間車2両×3組が置かれています。来年には目黒線列車を順次8連化する予定だそうですが、そのときに編成に再度組み込まれるのでしょう。それにしては、3000系や5080系の増結用中間車の製造情報が出てきませんが、どうなっているんでしょうか。

 

突端へ向かいます。

ここから見て、8500系が1本も見えないことに驚き。あと5本だからしょうがないのかな。

 

全て5000系以降の車両ばかり

 

長津田検車区には、時折他路線・他社の車両がいることがあるものですが、今回は大井町線の6000系と東横線の5050系4000番代がいました。

まずは6000系。

 

「Q SEAT」を組み込まない第6編成

 

6000系は大井町線用で所属は長津田なので、ここにいるのは別におかしくはないのですが、梶が谷の留置線にいることが多いので、ここにいるのはかえって珍しく見えてしまいます。

ところで、6000系は7連6本がありますが、指定席車「Q SEAT」を組み込んでいるのは第1・第2編成だけ。つまりこの2編成から抜かれた中間車があるのですが、この2両は目黒線用5080系の8連化に供されるのでしょうか。あるいは目黒線8連化を機に、6000系も全編成「Q SEAT」組み込みとし、抜いた中間車を5080系の8連化に転用するのかもしれません。

 

そしてこちらが、東横線用の5050系4000番代(4102F)。

 

相鉄直通対応改造の噂も

 

保安装置更新を施行したのは確かなようですが、噂では相鉄直通対応改造を行ったともいわれております。管理人はその噂には否定的にならざるを得ませんが…。

 

これだけ見まわして撤収。

 

最後に。

今日は76回目の「終戦記念日(終戦の日)」でした。そのことについて一言。

以前から折に触れて申し上げていますが、私たちがこうやって鉄道趣味やバス趣味を自由に楽しめるのも、日本が平和だからこそ。そしてその日本の平和は、先の戦争で尊い犠牲となった英霊たちのお陰であることは疑う余地がなく、そのことは日本人・日本国民として、決して忘れてはならないことだと思います。
本当はそのことを確認しつつ、静かに英霊や犠牲者の冥福を祈る日であるにもかかわらず、メディアは相変わらず明後日の方向の論調に終始しています。この時期になると必ず、戦争の悲惨さばかり強調しますが、戦争が嫌だというなら、そういう情緒的な面ばかりではなく、なぜ先の戦争に日本は進まざるを得なかったのか、その経緯と原因を、感情を排し冷徹に検証することが大事ではないかと思います。もっとも、そんなことを言っても、メディアは絶対にやらないであろうことは断言できます。何故なら、先の戦争に至った原因のひとつが、メディアが開戦をこれでもかと煽ったことだから。そこを避けて通れない以上、メディアは頬かむりをし続けるでしょう。

しかしそれでは、メディアに対する信頼は戻りません。「先ず隗より始めよ」で、メディアがこの辺りを自己批判してくれれば…と思いますが、恐らくは無理でしょう。
(この問題へのコメントはご遠慮願います)