紀勢本線での撮影。

1978年3月24日です。今調べてみるとこの年の10月2日に和歌山ー新宮間が電化開業しているので、電化前にディーゼル特急(特にキハ81)、電気式ディーゼル機関車DF50牽引の列車を撮りに出かけたものと思われます。(注;電化されていない路線は電気で走る車両は走れないので、蒸気機関車とかディーゼル機関車、ディーゼルエンジンで走る車両(気動車)が走ることになる)

 

私が鉄道写真を撮りに行った(行く)理由は主に2つ。

1.そこに貴重な(定義もまた様々ですが、基本的には希少な)車両が走っているとき

2.その線区の景色が美しいとき(景色が美しい、のはいくらでもありますが、きれいな景色と列車を合わせて撮れるとき)

両方が備わっているとうれしいのですが、大抵は近場ではなく遠くなので計画的に撮影に行っていました。当時はまだあった国鉄の周遊券とか使って。

 

車両のみを目的に撮る、景色のみを目的に撮る(背景となる美しい景色の中を列車が走っているが、車両自体は別に何でもいい)こともしましたが、当時は前者の方が多かったですね。風景写真が好きというよりはやはり鉄道自体が好きだったのかと思います。

車両のみが目的の場合でも駅等に止まっているのを車両全体がきれいに写るように撮る「形式写真」という方法と、駅間等で走っている車両を撮る「走行写真」という方法がありますが、この辺は人それぞれ拘りがあると思います。私は車両を撮るときにはできるだけ、走っている姿を撮りたいと思っていました。でも当たり前ですが、走っているのを撮るチャンスは一瞬ですから、また難しい。

 

紀勢本線(今回は新宮ー白浜間が中心)の撮影に行ったのは1の貴重な車両としてのキハ81が走っていたこと(確か、この時点でここだけ)。キハ81は写真でわかるように、いわゆる「ボンネット型」と呼ばれる唯一の気動車です。運転台がついているこの車両がキハ81という形式で、ブルドッグ、とか呼ばれていて、恰好は、今見ても抜群、というわけではないですかね、、。どちらかと言えばブサイク、、でももう当時、ここでしか走っておらず、特急くろしおの中でもキハ81が使われているのは数編成だったので「貴重な」キハ81を撮りにいったわけです。

ちなみに、この写真ではホームから撮っているので、車両の下の方(下回り、という)が隠れてしまっており、「形式写真」とはとても言えないお粗末な写真です。でもいいんです。自分がそれでよければ。

 

もう一つ、ここだけ、というわけではなかったと思いますが、どんどん数を減らしていっていたDF50というディーゼル機関車がバンバン走っていたことです。DF50は今でこそまた主流になってきていますが、当時は亜流だった、ディーゼルエンジンで発電してその電気を使ってモーターを動かして走るタイプ(車で言えばノートePowerのようなタイプ)の貴重な機関車で独特のエンジン音がしていました。形は、、今見ると微妙ですね、、。色は赤だし、箱型(直方体)で特に特徴ないし、恰好がいい、というよりは貴重でもうすぐになくなってしまうから、というモチベーションだったと思います。

また書く機会があると思うのですが、私の世代は日本のSL(蒸気機関車)全盛の時代には間に合わず、完全無鉛化が確か1974年だったと思うのですが、その時にはまだ小さすぎてカメラは持てず、自由に遠方にも撮影に行けず、イベントや保存のためではない日常のSL運行の列車を撮ることはできませんでした。

SLの次の被写体を求める中でキハ81とか、DF50とか、「少し古め」で希少感のある車両が選ばれて行ったんだと思います。

私の中ではDF50は結構好きな車両ですね。

紀勢本線の新宮ー和歌山間はほぼずっと海に沿って走っていて、実はそんなに海沿いギリギリを走っているところは少ないんですが、海と一緒に列車を撮れる有名撮影地がいくつかあります。

その中で見老津駅付近(正確な場所は忘れてしまった)でキハ81やDF50牽引の列車を撮っていました。

この時の思い出の最大のものは、唯一、同じような目的で列車の撮影に来ていた同じくらいの年頃の高校生と長らく一緒に撮影したことです。お互い一人で撮影に来ていて、同じ位の年頃で、ということがあったかと思いますが、住所交換までしてしばらくは写真の交換とか、年賀状のやり取りとかしていました。

基本的には撮り鉄さん同士はあまりコミュニケーションとらないものかと思います(多分今も)。なぜかというと、お互いに「ライバル」だから。撮影地(ポイント)というのは「早い者勝ち」という不文律があって(多分今も)、「いい場所」を確保するためにはライバルたちに先んじて撮影場所を確保しなければならないので、あまり良好な関係にはならないような気がします。

通常の気動車(キハ65か?)運行の多分急行きのくに
 

 

DF50牽引の貨物列車

 

キハ81を先頭にした特急くろしお

 

でもこのような広々としたところだと大勢いても互いに邪魔にならないですし、何より海に足をつけながらのんびりと「あ、来た来た」のような感じでとっていたので気持ちに余裕があったのかと思います。いい思い出です。彼は今、何をしているのでしょうか?年賀状では鉄道関係の仕事についたと言っていたかと思いますが、私は違ったので、うらやましく思ったものです。

 

上の「風景の中の鉄道写真」、皆さん、どうお感じでしょうか?鉄道写真としてはアングル悪いものもあり、そんなに大したことないな、と今は思いますが、こんな思い出があるため、私にとっては結構記憶に残っています。

 

 

おまけ

DF50牽引のブルートレイン「紀伊」の回送を有名な新宮ー三輪崎間にて。編成全体が入って下回りも隠れていない、「走行編成写真」としてはまあまあの出来と思うのですが、いかんせん、背景のごみ焼却場?がひどい。気が付かないことはなかったと思うのですが、時間がなくなって止むを得ず、撮ったような記憶があります。

走行写真を撮っていると、いい撮影地をロケハン(探している)したのはいいが、気に入ったところが見つからないうちに列車の時間が来てしまい、やむを得ず、、ということがよくあります。そんな写真は今見てもすぐに分かりますが、その辺もまたご紹介したいと思います。

 

ではまた。