(越後交通) ○新 大河津から 東京都区内ゆき | 菅沼天虎の紙屑談義

菅沼天虎の紙屑談義

交通機関を利用する為の切符・・・一般の方々にとっては使い終わってしまえばタダの紙屑で、最後は係員に渡して終わりになるモノです。
そんな紙屑に夢中になってしまった大馬鹿モノの戯言にお付き合い下されば幸いです。

昭和40年に越後交通長岡線の大河津で発行されました、「大河津から 東京都区内ゆき」の国鉄線連絡乗車券です。

 

 

TTD/てつどう/TETUDO青地紋券となります。

 

発駅の大河津の左側に「○新」の記号が印刷されておりますが、当時の越後交通長岡線大河津駅は国鉄越後線大河津駅(当時)との共同使用駅で、大河津駅の越後交通の出改札業務は国鉄に委託されていたようで、国鉄窓口発行を表わす記号として、越後線大河津駅を管轄する「新潟鉄道管理局」を表わす「○新」の記号が印刷されているものと考えられます。

 

越後交通長岡線と国鉄線の直接の接続駅は信越本線来迎寺駅でしたが、長岡線西長岡駅と信越本線長岡駅は信濃川を挟んで対岸の位置関係にあり、西長岡~長岡間を越後交通自動車線を介して、信越本線長岡駅接続での長岡線との連絡運輸も行なっており、この乗車券の経由表記は「長岡・渋川・熊谷経由」となりますので、西長岡~長岡間を越後交通自動車線を経由する連絡乗車券と考えられます。

 

 

 

 

 

裏面です。

 

 

表面に前売り発売を表わす「○前」のゴム印が押印され、裏面に有効開始日の記入があり、「特座寝№」のゴム印が押印されて、「座」に○印を付けて「211」が手書きで記入されており、恐らくは長岡駅からの国鉄線の座席指定券を大河津駅で同時に購入したものと推察されますが、社線発となる乗車券ながら、発行箇所が発売を委託された国鉄の窓口だったため出来た芸当と考えられます。

 

この乗車券が発行された当時の越後交通長岡線は、来迎寺~寺泊間を運行しておりましたが、昭和48年4月16日に大河津~寺泊間が廃止となり、続いて昭和50年4月1日に来迎寺~大河津間の全線の旅客営業の廃止と、越後関原~大河津間の路線廃止が行なわれて、大河津駅は国鉄越後線単独の駅となりますが、昭和61年11月1日に「大河津駅」から現在の「寺泊駅」に駅名が改称され、長岡線廃止で一旦は消滅した「寺泊」の駅名が復活しています。