みなさんこんにちは。前回からの続きです。


府南部、和泉市(いずみし)の「弥生文化博物館」で、今年3月まで開催されていた「泉州を貫く軌跡 阪和電鉄全通90周年」という、特別展を訪問した際の様子をお送りしています。



ここでは、現在では「特急くろしお号」が結んでいる「阪和電気鉄道(現在のJR阪和線)〜省線紀勢西線(現在のJR紀勢本線)」との直通列車運転について、その黎明期の様子を、展示に沿いながら探っています。新大阪にて。



ついに、日本を代表する温泉地・白浜へ到達した「省線紀勢西線」。
1933(昭和8)年12月のことでした。




白浜は、太平洋に洗われた名勝の多さも相まって、1300年前といわれる開湯以来、人気の温泉地でしたが、この白浜延伸と、大阪から阪和・省線を経由する「直通快速列車」の運転開始により、アクセスが劇的に改善されたことで、以降、今日に至るまで、気軽に足を運べるレジャー地となりました。


また、この白浜や、手前の「紀伊田辺」を起点に、山あいに点在していた名所・旧跡などにもバス連絡が図られます。展示より。



また、時刻表や案内を見ても、これら地域についての詳述が目立つようになって来ます。
路線の「紀伊田辺・白浜延伸」と「直通快速列車の運転開始」が、この地域一帯における発展の、ひとつの転換点になったように感じるものです。出典①。



それでは、白浜口まで運転区間が延長された「黒潮列車」運転時刻表を見てみます。
「阪和電気鉄道」と、省線紀勢西線を管轄する「鉄道省大阪鉄道局」によるものです。

往路は「大阪(阪和天王寺)午後2時30分発→東和歌山 午後3時15分着・20分発→白浜口 午後5時29分着」。所要時間は約3時間です。

先日の記事でも触れましたが、土曜に温泉地・白浜で一泊、翌日曜の夕方近くに出発し、大阪には夜に到着出来るようにしたダイヤ設定という、レジャー色の濃いものでした。
このような趣意の列車は同時期に、他に幾つも各地で登場例が見られます。国民の間にもレジャーを楽しむ習慣が芽生えはじめた、戦前の華やかしき一幕のひとつともいえるものです。


そして翌日、日曜の朝(現地の様子です)。
天下の名湯を楽しんだ後にチェックアウト。



時間があればさらに足を延ばして観光地を巡り、駅前あたりの商店街でおみやげや、帰りの汽車の中で食べる駅弁を迷いながら調達。
このように書いているだけでもたまりません(笑)出典同。


復路は「白浜口 午後3時45分発→紀伊田辺 午後4時03分発→東和歌山 午後5時56分着・6時発→阪和天王寺 午後6時45分着」

午後7時前には大阪に到着出来るということでそこから市電市バス、地下鉄から私鉄他社や、省線に乗り換えても、京阪神や奈良などの主要都市には十分、日着が可能な時間帯です。出典同。



それを見据えてでしょうか、阪和経由の連絡乗車券は当時、多くの関西私鉄他社や地下鉄でも取り扱いがされていたようです。
「大鐵(大阪鉄道)・大軌(大阪電気軌道)・参急(参宮急行電鉄)」は、それぞれ現在の「近鉄南大阪線系統・奈良線系統・大阪線系統」に当たる、関西大手私鉄でした。

ちなみに「信貴生駒」は「近鉄生駒線・京阪交野線(かたのせん)」を営業していた「信貴生駒電鉄」。
結構な広範囲での連絡運輸です。出典②。


また、このようなリーフレットも、展示にはありました。白浜開業と「黒潮列車」運転開始から2年後、1935(昭和10)年のものです。

経過を探ってみますと、この年には、
3月29日
紀伊富田駅 - 紀伊椿駅間 (5.3km) が延伸開業し、紀伊椿駅(現在の椿駅)が開業。

とありました。


グーグル地図より。
「椿(つばき)」は「白浜口」から2つ目の駅です。現在は「和歌山県西牟婁郡(にしむろぐん)白浜町椿」、都合、同じ白浜町内です。

沿線最大の観光名所・白浜に到達した「省線紀勢西線」ですが、路線延伸は続いていました。「西・中・東線」と、分断されていた路線を結節すべく、まだまだ先へと進められることになります。ちなみに、路線がすべてつながったのは、戦後の1959(昭和34)年のことです。


この椿にも、古くから温泉が点在していました。ただし、観光名所も多い白浜中心地とは異なり、静かな佇まいだといいます。
そういったことで、長期滞在の湯治客に重用されることが多かったようです。出典③。


椿開業に先駆け、毎週土曜午後に大阪(阪和天王寺)を発車する、くだんの白浜口ゆき「南紀直通列車」は毎日運転へと、時間をあらためて大増発されることになりました。

リーフレットによると、それまでの「黒潮列車(土曜)午後2時30分発」に加える形で「平日直通列車(月〜金曜)」が午後1時20分発
さらに興味深いのは「日曜列車(日曜)」午前7時40分発。朝早い時間帯から推測するに、日帰り観光客をターゲットにしたものでしょう。




ただし、帰路の大阪ゆきは午後3時台。

となると、日帰りでは白浜滞在時間は3時間程度でしょうか。ひとっ風呂浴びるのにはいいでしょうが、やはり、ゆっくりとかの地を満喫するなら一泊は必要に違いありません。

  


大阪からは、和歌浦(和歌山市内)で船便に乗り継ぎなどして、丸一日かかってようやく到着出来た白浜に、乗り換えなし3時間で行けるようになったとは、当時にしては、夢のような話しだったに違いありません。

そういったことで、この「黒潮列車の運転開始」は、今日の南紀白浜観光の、基本的なルーティンが定まった瞬間、といえましょうか。


ところで、阪和が省線と組んで行ったこの「大阪〜南紀白浜直通列車」の大成功の裏に、虎視眈々とそれへの参画を狙う鉄道がありました。




阪和開業以来、今日に至るまで、大阪・和歌山間で最大のライバル「南海鉄道(現在の南海電車)」です。

実は、この直通列車の運転には、南海も参戦意欲はすこぶる盛んでした。


(出典①「白浜・湯崎温泉附近名所遊覧案内図」阪和電気鉄道 昭和8年発行、ブログ主所蔵)

(出典②「阪和電鉄 沿線御案内」阪和電気鉄道 昭和11年発行、ブログ主所蔵)

(出典③「美肌の湯 明治時代よりつづく湯治の郷 椿温泉観光協会」ホームページ)

(年表出典「フリー百科事典ウィキペディア」#紀勢本線)


次回に続きます。

今日はこんなところです。