上諏訪から中央本線を経て、飯田線を乗り継いで、豊橋まで約8時間かかりました。いや~飯田線は楽しいですが、普通列車の旅は体力との勝負ですね。
結構疲れたので、豊橋から新幹線で帰りたいところですが、まだ時刻は16時過ぎなので、在来線(東海道本線)で西へと向かいます。
折り返し豊橋16時31分発の新快速米原行となる列車がやって来ました。この列車なら大垣で乗り換えることなく、米原まで行けるのでありがたいです。
定刻に豊橋を出発し、豊川を再び渡ります。3月の中頃ともなると16時半を過ぎても明るいですが、、太陽は西に傾きます。
岡崎の少し手前で、東海道本線とを水たまりだらけの道と交差します。これは1962(昭和37)年に廃止になった名鉄岡崎市内線(福岡線)の廃線跡で、鉄道廃止後はバス専用道路として使われていましたが、2016(平成28)年に都市基盤整備事業のため、バス専用道路が廃止となっています。
大府では衣浦臨海鉄道のKE65形ディーゼル機関車が入換作業中。この機関車は国鉄DE10形と同じタイプ。
並走する何もなり路盤は、未成線の南方貨物線跡。
笠寺の手前には塀に沿って、錆びたレールが残っています。これは大同特殊鋼星崎工場、三井東圧化学名古屋工場、住友セメント笠寺サービスステーションへと続いていた専用線の跡。
バスに並んでの高架線は南方貨物線跡。この高架線も街中に点在していたものが、段々と撤去されつつあります。
尾頭橋を出ると左手に白い建物が見えます。この辺りが中央本線の山王信号所で、貨物線の名古屋港線(現役)が分岐。中央本線上に存在する信号所ですが、名古屋港線は東海道本線の貨物支線。なので信号所も東海道本線に属しています。これは中央本線の複線化によっての事情。
ちなみに白い建物は、ソフトバンク名古屋センター。
木曽川を渡る17時46分頃に日没です。
この旅で何度か登場しただけで乗らなかった名鉄名古屋本線を跨ぐと、まもなく岐阜に到着です。岐阜からは新快速は米原まで各駅停車。外も暗くなり、旅の疲れも出てきて、ウトウト・・・。
豊橋から2時間8分の18時39分に米原に到着し、新快速播州赤穂行に8分の接続。乗るとこれまたすぐに寝てしまいまして、帰宅ラッシュもどこへやら。
20時54分明石に到着。明石で遅めの晩御飯。
最後はいつもの山陽電鉄で江井ヶ島に21時41分着。
二日間の旅で、久々に身延線と飯田線に乗ることができ、二日目のお天気はイマイチでしたが、前回撮れなかった写真をたくさん撮れました。しかし新型コロナウイルスが本格化し始め、旅も段々と難しくなっていくのです。
おわり。