新京阪の「F」 | 書斎の汽車・電車

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 毎年7月に新京阪鉄道のお話をするのが常になっていますが、今年はオリンピック関係の話題にかまけているうちに、早くも月末です。

 

 で、今年は何を取り上げようかと思案したのですが、形式称号が「F」ではじまる貨車、事業用車の類を見てみようと思いました。

 とりあえず今回は「総覧」ということで、新京阪の「F」にはこんな車がいたんだよという内容になります。

 

 新京阪鉄道の旅客車は、有名な「P-6」に代表されるように「P」を形式称号として使用していました。「パッセンジャー」(旅客)の「P」ということになります。これに対する「F」は「フレイト」(貨物)を意味します。

 

 まずは「F-1」、エフワンなんていうと、駿足を誇った新京阪のことですから、P-6をしのぐ韋駄天が出てきそうですが、大正13(1924)年汽車会社製の10t積2軸無蓋車です。ト1001~1014と、ハンドブレーキが付いた無蓋緩急車のト1015~1020(なぜかトフではありませんでした。車掌室など持たない車輛だったからでしょうか)の20輛からなるグループです。

 

 「F-2」は、標準軌の鉄道では珍しい電気機関車でした。東洋電機製の箱型のED級電機でして、大正13(1924)年に1・2(のちに2001・2002に改番)が製造され、大正15(1926)に3(のちの2003)が増備されました。先に述べた「ト」なんかを牽引したものと思われますが、戦後は阪急で事業用「電車」として扱われています。なお、1・2には「BL-1」、3は「BL-2」の異称もあります。Lはロコモティブを指すのは明らかですが、さて「B」には何の意味があったのでしょうか。

 

 「F-3」は昭和3(1928)年梅鉢製の電動有蓋貨車。ここへきてようやく電鉄らしい「電動貨車(デワ)」が登場です。番号は当初の6・7、後に3001・3002になっています。なかなかスマートな電動貨車です。

 

 「F-4」も同じく昭和3(1928)年梅鉢製ですが、こちらは無蓋電動貨車(デト)です。番号は当初4・5、後に4001・4002となります。こちらも車体長が長く見えるなかなか好ましい電車です。

 

 ある意味一番異彩を放つのが「F-5」です。「電動魚菜車」と称される車輛で、通風車の前後に客室と運転台を備えていました。沿線の鮮魚商、青果商が市場に買い出しに行くための車輛でして、客室は彼らのためのものでした。客室があることから、形式も「デワ」ではなく「デハニ」となっています。この車輛も昭和3(1928)年梅鉢製で、番号は8から5001に変わっています。なお、この電車は当初の目的のほか、新聞輸送にも使用されたといいます。

 

 以上が新京阪の「F」の概要ということになります。各論編や、「F」を冠することのなかった事業用車輛については、又の機会にご紹介します。新京阪、まだまだ話題豊富でして、年1回となるとかなり先まで続きそうです。