皆様こんばんは。ブログおよびホームページ管理人の神@北見です。

 

昨年よりキハ58系Nゲージを集め始め、これまでに色々とご紹介をしてきましたが2021年に入ってからは急行「いなわしろ・いわき」の加工と、昨年加工した「赤倉」の再整備を行ったくらいであまり進展していません。今回は前回「赤倉」を整備した際に新潟キハ58の屋根上水タンクを交換する加工を纏めて施工していましたので、このまま勢いで新潟担当の急行「あがの」の整備を行いたいと思います。

 

ここでまず急行「あがの」について簡単にご紹介します。主に末期の情報について記載したいと思います。

 

急行「あがの」は北日本の主要都市である新潟と仙台を「磐越西線」経由で結ぶ急行で、途中県都福島も経由していました。なお同じ区間を運行する急行に「あさひ」があり、こちらは米坂線・仙山線経由となっており県都山形を通っていました。

 

1982年11月ダイヤ改正直前の時点では2往復が運転されており、うち1往復はグリーン車入りでした。

 

↑1982年5月の時刻表です。「あがの」は仙台を朝に出て昼頃到着する2号と新潟を夕方出て仙台に夜に付く3号がグリーン車無しで、小牛田区の担当でした。

これに対して1号と4号が新潟区の担当でした。1号は新潟08:22発仙台15:11着、4号は仙台12:25発新潟19:09着で、1日で片道しか走行しておらず運用効率が悪そうですが、実は青線でマークした「いなわしろ」と運用がセットになっており、

 

あがの1号→下り「いなわしろ」→上り「いなわしろ」→あがの4号

 

という順序で運用されていました。

 

なお急行「いなわしろ」は郡山から仙台の間で水戸区の「いわき」を併結しており、この水戸車がくっ付いたまま「あがの」の運用に就いていましたので水戸車が新潟まで遠征していたことになります。なので当時の水戸区のキハ58はスノープロウ付きが標準となっていたのでした。

 

 

このように新潟~仙台間を2往復体制でずっと続いていた急行「あがの」ですが、1982年11月の東北地区の白紙ダイヤ改正でも辛くも生き残ることになります。新幹線は大宮~新潟、大宮~盛岡の開業であったため新潟~仙台間では時間短縮のメリットが少なかったのも一因かと思います。また郡山接続の磐越西線連絡列車という使命もあったと思われます。

 

↑1983年3月の時刻表です。急行「あがの」は2往復残っていますが、仙台行きではなく福島行となっています。また余談ですが1982年11月以前では下り「あがの」が2号でしたが、同改正後は下り「あがの」が1号になっています。この運用では1号→4号という組と、2号→3号という組の2運用ありました。

 

1982年11月の改正後は2往復とも新潟担当となり、2往復を2運用で担当していました。編成はキハ58+28の5連または7連での運転となっていました。1980年より冷房車が新潟に転入しており、この頃はこの急行「あがの」は全車冷房車で組成されていました。

 

しかしながらキハ58系の陳腐化もあり、1985年3月のダイヤ改正で快速に格下げされ、しかも運転区間も短縮されてしまいました。

↑1985年3月の時刻表です。「あがの」は快速に格下げされ、2往復ながら1本は新潟~郡山、1本は新潟~会津若松となっていました。急行時代は冷房車が優先的に充当された「あがの」でしたが、快速格下げ後は非冷房車も混じるようになり普通列車と大して変わらない状況となってしまいました…。

 

さて、では1982年11月から1985年3月までの急行「あがの」に充当されていたキハ58系の車両配置状況を見てみたいと思います。

 

新潟のキハ58系普通車は1980年頃までは急行「赤倉」指定席車しか冷房車がありませんでした。しかし1980年頃から主に九州から冷房キハ58・28が転入し、冷房車の比率が上がりました。これにより「あがの」編成にも冷房車が入ることが多くなりました。そして1982年11月のダイヤ改正後は編成が

 

<キハ58+キハ28+キハ58>+<キハ28+キハ58>+<キハ28+キハ58> (6・7号車は連結しない列車もあり)

 

となり、基本的に冷房車が充当されることになりました。

 

この頃新潟に配置されていたキハ58系冷房車は、

 

キハ28 2010・2032・2033・2098・2105・2106・2301・2363・2364・2506・2507・2508 (12両)

キハ58 14・93・113・114・120・148・153・155・168・170・172・188・228・235・244・266・267・446・1009・1010・1012・1019・1020・1021 (24両)

 

と、かなりの両数が配置されています。

 

キハ28に関しては0(2000)番台が6両、300(2300)番台が3両、2500番台が3両ですが、

キハ58は、0番台が17両、400番台前期車が1両、400番台最後期車が6両と、配置されている車に偏りがありました。

 

そのためこれを模型化しようとすると、0番台や1000代のキハ58を用意しなければなりません。

 

前置きが長くなってしまいましたが、急行「あがの」用に用意した車を見てみます。

 

↑「あがの」用の車を確保してありました。テプラで「あがの」に直しましたが、非冷房車のままになっていますね…。中身は冷房車です。

 

↑58+28+58+28+58+28+58という綺麗な編成です。

左から、キハ58 400番台後期車、キハ28 2000番台車、キハ58 0番台、キハ28 2300番台、キハ58 0番台、キハ28 2500番台、キハ58 0番台という組み合わせです。これらの車両を集めるのは大変でした…。

 

↑1号車はキハ58 400番台の後期車です。実車では794以降の車です。模型では急行「のりくら」用のキハ58を使用しています。屋根上の水タンクは新潟タイプに交換しています。1009・1010・1012・1019~1021が該当します。

 

↑2号車はキハ28 0(2000)です。これはTomix製のJR四国色キハ28 2000番台を急行色に塗り替えた車です。塗り替え自体は昨年実施しておりそのまま用途未定の車でしたのでこれを充当します。床下の水タンクは、新潟では新型のFRP製へ交換されるケースが多かったですが、2032や2098は晩年までそのままでしたのでこれをモデルにすればそのままでも大丈夫です。

 

↑3号車はキハ58 0番台です。これは昨年購入したKATOの「キヤ28訓練車タイプセット」のキハ58から白帯と表記を消去した車です。更に先日屋根上の水タンクを新潟タイプに交換しています。このセットの車はHゴムが黒くなっており、窓セルのものはグレーに修正していますが便所の臭気抜き窓は印刷なので直す自信がありません…。

 

↑4号車はキハ28 2300番台です。これはTomix製の単品そのままです。新潟には同じタイプの2363・2364が配置されていましたのでこれにしたいと思います。但し床下の水タンクは早い時期にFRP製に換装されていたので、整備時には水タンク交換も実施したいと思います。

 

↑5号車はキハ58 0番台です。これは3号車と全く同じで昨年購入したKATOの「キヤ28訓練車タイプセット」のキハ58から白帯と表記を消去した車です。

 

↑6号車はキハ28 2500です。これはTomix製急行「アルプス」セットから流用しています。実車は1982年11月改正で急行「白馬」廃止により松本より転入しています。基本的にそのままですが、床下の水タンクは後に新型のFRP製に交換されていますので、改造が必要です。

 

↑7号車もキハ58 0番台です。ただしこの車はスターターセットに入っていたキハ58 0です。更に先日屋根上の水タンクを新潟タイプに交換しています。

 

さて、種車は揃いました。キハ58の水タンクは既に新潟タイプに交換済みですので、改造点は限られており…

 

↑全車のタイフォンを竹槍状の新潟タイプタイフォンへ改造、床下には全車単線スノープロウの取付、キハ28に付いては水タンクをFRP製へ交換といったところでしょうか。あとTomix車にもKATO製のジャンパケーブルを取り付けることとします。あと正面窓にはデフロスタの取付もしなければなりませんね。

 

さて、では導入編はこのくらいにして週末を利用して加工をしてゆきたいと思います。

 

 

今回も最後までご覧いただきありがとうございました。それでは次回もお楽しみに!!