みなさんこんにちは。

 

 

しばらく間が開きましたが、府南部、和泉市(いずみし)の「弥生文化博物館」で3月末まで開催されていた「泉州を貫く軌跡 阪和電鉄全通90周年」という、特別展を訪問した際の様子をお送りするシリーズ、その続編を今日からはお送りいたします。
 
 
大阪と和歌山、また関西空港や「紀勢本線(きせいほんせん)」と直通し、関西の大動脈となっている「JR阪和線」。
その前身の、昭和初期に開業した「阪和電気鉄道」は、当時としては破格の高規格で建設された、超高速運転を誇るエリート私鉄でした。
 
 
先の大戦に向かう、激動の時代に飲み込まれ、わずか10年あまりで消滅した「伝説の鉄道」と呼ばれるその歴史について、展示を拝見しながらあれこれとたどっています。地上駅時代の東岸和田(大阪府岸和田市)、2010年4月撮影。
 
 
さて、展示は「阪和電気鉄道と省線紀勢西線(現在のJR紀勢本線)との直結」へとテーマは移ります。 
解説にもありますが、阪和が創設された当時から、これとの直通は大命題とされていました。


「紀勢本線(きせいほんせん)」は、和歌山市駅から和歌山駅を経て、紀伊半島の沿岸部に沿うように南下、御坊・紀伊田辺・白浜・周参見(すさみ)・串本といった主要な街々を経由、新宮から東は三重県に入り、亀山駅(三重県亀山市)に至る、大幹線として知られています。



路線を南下するに従い、太平洋と険しい山々との狭隘なところを縫うようにして走ります。
そのため大正期までは、半島間の街々との行き来は船舶が主流で、鉄道の敷設は他の地域に比べて遅れていました。沿線を車窓より。

そういった理由があり、紀勢本線は建設当時から都合、3区間に分けられ建設が進められていました。
そのうち、県庁所在地・和歌山に近い区間は「紀勢西線」と呼称され、大正末期になって、ようやく徐々に路線が延ばされて行きます。


それでは、その「紀勢西線」の開業を起点に、紀伊半島の南部へ向かって、少しずつ進行して行った路線の延伸の経過について、年表で見て参りたいと思います。出典①。



1924年(大正13年)
2月28日
紀勢西線 和歌山駅(初代、現在の紀和駅) - 東和歌山駅 - 箕島駅間(16.8マイル≒27.04km)が開業し、東和歌山駅(現在の和歌山駅)・紀三井寺駅・日方町駅(現在の海南駅)・加茂郷駅・箕島駅(みのしまえき、□)が開業。

1925年(大正14年)
12月11日:箕島駅 - 紀伊宮原駅間(2.7M≒4.35km)が延伸開業し、紀伊宮原駅()が開業。
1926年(大正15年)
8月8日:紀伊宮原駅 - 藤並駅間(2.4M≒3.86km)が延伸開業し藤並駅(ふじなみえき、)が開業。

1927年(昭和2年)
8月14日:藤並駅 - 紀伊湯浅駅間(2.1M≒3.38km)が延伸開業し、紀伊湯浅駅(現在の湯浅駅、ゆあさえき。)が開業。

1928年(昭和3年)
10月28日:紀伊湯浅駅 - 紀伊由良駅間(5.9M≒9.50km)が延伸開業し、紀伊由良駅(きいゆらえき、)が開業。



1929年(昭和4年)
4月21日:紀伊由良駅 - 御坊駅間(5.1M≒8.21km)・貨物支線 紀伊由良駅 - 由良内駅間(1.2M≒1.93km)が開業し、紀伊内原駅・御坊駅(ごぼうえき、)および、貨物駅として由良内駅が開業。


一方、東和歌山駅で大阪方面につながることになる本題の「阪和電気鉄道」については、

1929年(昭和4年)
7月18日:阪和天王寺駅(現、天王寺駅) - 和泉府中駅間と鳳駅 - 阪和浜寺駅(現、東羽衣駅)間開業。

1930年(昭和5年)
6月16日:和泉府中駅 - 阪和東和歌山駅(現、和歌山駅)間開業により、本線全通。
当初は全区間を急行が65分で走破。

という経緯をたどっています。出典②。



阪和が昭和5年6月、東和歌山駅に到達してからは、この駅での乗り換えによる省線との旅客連絡運輸は、さらに注力されるようになります。展示より。では、続きます。

1930年(昭和5年)
4月1日:営業距離の単位をマイルからメートルに変更(1マイル≒1.6km。和歌山駅 - 御坊駅間 35.0M→56.4km、紀伊由良駅 - 由良内駅間 1.2M→2.0km)。

12月14日:御坊駅 - 印南駅間 (17.0km) が延伸開業し、道成寺駅・和佐駅・稲原駅・印南駅(いなみえき、)が開業。
 
 
 
1931年(昭和6年)
9月21日:印南駅 - 南部駅間 (14.8km) が延伸開業し、切目駅・岩代駅・南部駅(みなべえき、)が開業。


南部梅林、南高梅で有名な「南部」まで路線が延びて来たのは、昭和6年秋のことです。

このリーフレットは、南部延伸の際に阪和が発行したものですが、よくよく考えますと、沿線外であり、なおかつ他社に当たる省線沿線のPRをこのように積極的に行っていたということの意味合いも、気になります。



冒頭でも触れましたが、これには、東和歌山駅を介し、観光名所があまたある紀勢西線(地図中)沿線に、観光客をターゲットにした直通列車を、自社の大阪方のターミナル「天王寺」から走らせたいという、阪和創設時からの狙いがありました。出典③。


グーグル地図より。
ちなみに南部は、南紀を代表する、あの人気温泉地から5つ目のところです。阪和が目指したのは、まさに「その温泉地」でした。

(出典①「JTB時刻表 2021年3月号」JTBパブリッシング刊)
(出典②「京阪百年のあゆみ」京阪電気鉄道株式会社編・刊 平成22年)
(出典③「阪和電鉄 沿線御案内」阪和電気鉄道発行 昭和5年)
(年表出典「フリー百科事典ウィキペディア」#紀勢本線ならびに#阪和電気鉄道)

次回に続きます。
今日はこんなところです。