40年物の赤ラベル
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正月にうろうろしていた二子玉川。
さすがに東急の要衝だけあって、ウスウス中にしょっちゅう電車を見かけました。
新しい電車と
東武の電車。
そんな町も駅も電車も変わってしまった中にあってまだ活躍しているのですよね。
8500系。
いや~。やっぱ田園都市線にはこの電車がしっくり来るわ。
思い起こせば30+α年前。よくお世話になったよなー。
登場したのは1975年。今年で40年ですよ!
その頃横浜線にはまだ茶色の73系が走っていて、そのガタボロとよく揺れるムワッと暑い電車から乗り換えるとクーラーの効いた涼しい車内に滑るような走り。夢のような電車でした。
ただ気に入らなかったのは、それまでの東急の電車は前が良く見えたのに、8500系は運転室ドアにしか窓が無くてかぶりつきの競争率が高く車内から前が良く見えなかった事。
しかし古臭い緑色のやつや、のっぺり6000系、かっこいいんだけどやたら先頭車が多くて編成として見ると今一つデコボコ感が否めない7200系などの電車たちの中にあって、前から後ろまでピシッと揃った編成にそれまでは銀一色だったステンレス電車において正面に赤ライン姿と一線を画していて特別の物という印象がかっこよかったなー。
東急もその辺を認識していたのかどうか、新玉線の急行・快速は8500系の独壇場で営団8000系はまだクーラーも乗せられていなくて、鷺沼でそれを追い越す時は優越感がひしひしと。
編成が伸ばされると中間に兄貴分の8000系先頭車が組み込まれたりしたけど、それはそれでよかったよ。
ラッシュ時には前から後ろまでギッチギチだったけどこの中間先頭車の部分は立ちスペースが広かったせいか、いくらかは楽でした。連結部まで入り込んじゃうと途中駅では絶対降りられなかったけどね。
横浜線から茶色の電車が、そして103系、205系と消えて、少年だった私の頭から髪の毛が消えるのもずっと見てきたんだよね。この電車。
なんかきな臭い噂もあるけれど
昨今ののっぺり電車と違った
コルゲート鎧に身を包んだ輝く車体で
末永くドーンと頑張ってほしいなー。
でも今の人たちには8500系はその昔私が見た緑色の電車の様に映っているんだろうなー。
宮崎台~梶ヶ谷 1976年
それと寄る年波のせいか音もなんだか角が取れたよね。
昔は会話もままならないほどだったのに。
録音状態が悪いのでそうは聞こえないけど↓
そんな老骨に鞭打って栃木県のそばまでやって来てくれるようになったのだから一度は久喜から中央林間まで通しで乗ってみようかなー。
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