その8(№5552.)から続く

アップが1日(2日?)遅れになってしまい申し訳ありません。
これは管理人が単純に忙しいだけで、精神的に参っているわけではありませんのでご安心を。なお、いただいたコメントの返信はもうしばらくお待ちください。

 

ご挨拶と事務連絡はそのくらいにして、本題参りましょう。

今回は中国四国地方に初めて出現したAGTを取り上げます。愛称は「アストラムライン」。「アストラムライン」とは、日本語の「明日(あす)」と英語で路面電車を意味する「トラム(Tram)」をつなぎ合わせた造語です。運営するのは「広島高速鉄道」。広島市などが出資する第三セクターです。
ちなみに「アストラムライン」の正式名称は「広島高速交通広島新交通1号線」。横浜の「横浜シーサイドライン金沢シーサイドライン」とは別の意味で、舌を噛みそうな長ったらしい名前ですが、勿論正式名称で呼ぶ人は殆どいません。

この路線の計画は比較的新しく、具体化したのは昭和の最末期。もともとは、広島市北西部(主に安佐南区)のニュータウンと広島市中心部を結ぶ目的で計画され、最初に広島市中心部と長楽寺との間が着工されました。その後、広島でのアジア大会の開催が決まると、そのメイン会場となる広域公園へのアクセス路線として、長楽寺-広域公園前間が着工。このように着工時期は違いがあるものの、開業は本通-広域公園前間の全線が同時でした。開業日は平成6(1994)年8月20日。
開業3年前の平成3(1991)年には、工事中の橋桁を落下させてしまう事故を起こし、下の自動車などが橋桁の下敷きになり、15人死亡・8人負傷という大事故を引き起こしてしまいました。これは県道の上空に橋桁を設置する工事をしていたときに起きた事故ですが、県道の迂回ルートがないなどの理由により交通規制を実施せずに橋桁設置工事をしていたため、落下した橋桁が県道を走る自動車を直撃したものです。この事故の後、広島市では橋桁設置工事の際必ず下の道路を通行止めにして迂回路を確保する方針が徹底され、他の都市でも追随しています。
不幸な事故こそあったものの、その3年後には全線が開通した「アストラムライン」。開業前に期待されたとおり、広島アジア大会の観客輸送と安佐南区のニュータウン住民の足として機能します。

「アストラムライン」を語るにあたっては、本通-新白島間の地下区間についても言及しておかなければなりません。
それは、この地下区間のうち、本通-県庁前の僅か0.3kmの区間が、法的には「地下鉄」となっていること。これは、この区間のみについて「地下高速鉄道整備事業費補助制度」の対象となったためで、これによりこの区間が「地下鉄」とみなされています。日本の都市で地下鉄が存在するのは、北から順に札幌・仙台・東京・横浜・名古屋・京都・大阪・神戸・福岡(ここにさいたま市を含めることがある)の9都市ですが、実は広島が10番目の「地下鉄が存在する都市」ということになります。さいたま市を入れると、埼玉高速鉄道の開業は「アストラムライン」の7年後ですから、こちらは広島の後塵を拝する11番目の地下鉄都市となります。
広島市にかつて地下鉄の計画があったのは有名な話ですが、広島市の地盤の特性により工事が技術・コストの両面で厳しいことなどが考慮され、地下鉄建設計画は立ち消えになりました。それがAGTとはいえ、「地下鉄」として開業するとは! まさに運命のいたずらと言わざるを得ません。
なお、普通鉄道ではない地下鉄が存在するのは、日本国内では広島市の他には札幌市だけとなっています。また、「アストラムライン」は路線総延長が18.4kmとなっており、これはAGTの単一路線としては日本最長です。

路線総延長が長いためか、「アストラムライン」では、AGTでは極めて珍しい優等列車の運転が行われていました。
それが「急行」で、平成11(1999)年に運転を開始しました。停車駅を大幅に絞り込んだことが奏功し、各駅停車で全線35分かかっていたものが、「急行」は10分短縮した25分で運転されました。AGTで通過運転を行った路線としては、神戸の「ポートライナー」があり、こちらは空港利用客と沿線利用客を分離する目的がありましたが、所要時間は各駅停車と1分しか違わず、結局全体の利便性を向上させるために、快速運転は取り止められています。
神戸とは異なり、「アストラムライン」の「急行」は、それなりの時間短縮効果こそあったものの、AGTの特性上高速運転には向かず、しかも緩急接続できる駅がないため、その難しさもありました。確かに、緩急接続に近いことは大町駅で行っていたそうですが、これは各駅停車を大町止まりにして、大町駅でお客を全て降ろして側線に転線、「急行」の客扱い後その編成が大町駅始発の各駅停車として発車するというものでした。まるで往年の京急の「ハイキング特急」に道を譲る各駅停車のごとき運転方法ですが、こんな運転方法は煩雑そのもので、現場の負担も大きくなっていました。決定打は、平成15(2003)年に広島高速4号線経由の高速バス路線が開業したこと。これにより「アストラムライン」の利用客が減少し、急行運転も1本だけに減少しました。結局その翌年の平成16(2004)年、運転開始から僅か5年で「急行」は姿を消しています。
それでもさらにその11年後、平成27(2015)年にJRとの接続駅として新白島駅が開業すると、今度は明らかな乗客増に転じ、平成13(2001)年の広島高速4号線開業前の水準をはるかに上回る乗客数となりました。しかし経営はなかなか厳しいようで、このあたりはやはり、バブル絶頂期に工事を進めた路線の悲哀なのかと思います(金利が重くのしかかっているものと思われる)。

車両は、開業当初からの6000系が現在も活躍を続けていますが、昨年から7000系の導入が始まり、6000系を置き換え始めました。計画ではあと4年、令和7(2025)年度までに6000系を全て置き換える計画とのこと。
これとは別に、平成11(1999)年に1本だけ導入された1000系は、何と7000系に置き換えられて退役してしまいました。1000系は6000系よりも車齢が若く、しかも6000系とは異なりVVVFインバーター制御・誘導電動機装備の車両ですが(6000系はサイリスタチョッパ・直流電動機装備)、退役は早かった。これはやはり、1編成しかない異端編成が現場の「お荷物」となっていたことを示すもので、少数派編成・異端編成が真っ先に退役する「鉄道車両あるある」がここでも実現してしまいました。

「アストラムライン」には延伸計画があり、広域公園前から西広島(JR西広島・広電西広島駅付近)までの路線を建設するということです。この計画自体は平成11(1999)年ころからありましたが、平成19(2007)年の時点では、広島市は財政的に厳しいことを理由に難色を示していました。しかし平成27(2015)年に至り、広島市は広域公園前-西広島間の延伸にゴーサインを出したとのこと。ただし経費節減が図られ、この区間は当面単線で開業する計画だそうです。ただし工事は始まっておらず、実際には曲折も予想され、今後が注目されます。

次回は、東京の湾岸部に開業し、所期の目的こそ達成できなかったものの、人気路線として飛躍した路線を取り上げます。

その10(№5565.)に続く