【お詫び】昨日のブログは半ばアタマが寝た状態でブログupしてしまい、推敲がしっかり出来ていませんでした😭。今回は何故本気を出せなかったのか、前回ブログの続きです。失礼しました😓

三島ー静岡間の袖師トンネルを通過する
0系新幹線
1967年1月2日
j.WALLY HIGGINS著 昭和30年代 乗物のある風景(JTB出版)より
東海道新幹線が開通時に最高速度:210km/hまで出せなかった理由は
軌道の地盤が
充分に
踏み固められて
いなかったから
なのだそうです。東海道新幹線は従来の鉄道と異なり踏切がありません。つまり対面する道路等は立体交差となっています。そのため写真のように盛り土をする区間も多いのですが建設許可が降りてから6年余りで完成させた謂わば突貫工事だったので地盤が硬くなるまで速度を落として運行されました。

翌年から東海道新幹線は徐々に速度を上げて1970年3月改正では東京ー大阪間3時間10分、最高時速210km/h運転を行なっています🤗。

1970年3月現在
東海道新幹線時刻表(上り)


事実、新大阪6時00分発2A:ひかり2号は4時間かけて東京9時10分到着です、当初の計画通り所要時間3時間10分を達成していますおねがい

こだま号では新大阪6時15分発102A:こだま102号東京10時25分に到着、これは開業当初のひかり2号に迫る

ひかり2号の平均時速は174.5km/hこだま202号の平均時速は132.6km/hと、新幹線らしくなってきました。
静岡駅でこだま号を追い抜くひかり号
0系新幹線
1967年1月2日
j.WALLY HIGGINS著 昭和30年代 乗物のある風景(JTB出版)より
また、30分ヘッドだった運行回数暫時増発されてより早くより多く運転されて使いやすい都市間移動手段として現在では日本各地を繋ぐ新幹線のネットワークが形成されています。