かつてJRに存在していた「急行」。

 道内各地から札幌に向かう最終の急行は寝台車連結の夜行列車でした。

 

 少し古い話ですから、簡単に説明します。

 1978年12月の時刻表を見てみると……

函館2340発すずらん5号。608札幌着

釧路2130発狩勝8号。633札幌着。

稚内2100発利尻。600札幌着。

 そして網走からは2045発の大雪10号が札幌617着。

 

 夜行列車の話題になって盛り上がるのは、それなりの世代です。

 チョッと勘違いや色々盛っちゃう場合があるので、聞いた話ってすぐ書けない(-_-;)

 だから一応時刻表で確認して書きます。

 

 石北本線は大雪10号がその日の最終列車となります。

 網走より北見の方が人口が多く、沿線住民の通勤通学客に配慮したダイヤで、網走ー北見は普通列車として各駅停車でゆっくり走ります。

 

 美幌では網走行き特急「おおとり」の通過待ちで9分停車。北見で17分停車。

 単線区間の夜行列車は長時間停車が当たり前。通過待ちかと思っても何もない時間調整もあります。

 

 そんなこんなで遠軽2359着。014発です。

 

 実は、網走で乗り遅れた場合、遠軽で追いつく方法がありました。

 それも鈍行列車で。

 

 石北本線最終列車の急行に追いつく。

 この想像は、今の鉄道地図を思い浮かべても出来ません。

 実は大雪10号が網走駅の最終じゃない。網走駅は石北本線、釧網線の他当時は湧網線もありました。

 湧網線の最終列車は網走2103発。 タッチの差で大雪10号に乗り遅れた場合これが救世主となります。

 湧網線はオホーツク海に沿って北上する路線で、一見札幌に向かう列車のコースから遠ざかるイメージですが、古い鉄道地図で見ると、石北本線って一直線で網走ー札幌を結ぶ線区じゃないんですよね。

 各集落を結んで人を乗せていく為にクネクネしています。

 湧網線は片側が海で、海を中心とした生活の集落が多いので、海に沿って真っすぐ。

 網走ー中湧別89.8km。今ならこれも立派な夜行列車の旅でしょう。

 中湧別に2320着。

 

 旅はまだ続きます。っていうか、旅は大雪10号に乗らないと始まらない人の裏技です。

 

 中湧別から名寄本線遠軽行きに乗り換えです。

 この列車は1705札幌発の急行大雪7号に併結されていた急行紋別。

 旭川で切り離された急行紋別は名寄本線経由で遠軽に向かいます。

 急行「紋別」と言いながら、急行なのは興部までで、紋別駅に到着する時は普通列車になってる変わり種。

 この列車が中湧別に2329着。2332発。

 遠軽には2355着。

 

 急行大雪10号に追いつくというより追い越してしまう。

 

 湧網線は本数は少なかったけど、沿線の人の要望で名寄本線との接続は良かったからの嘘みたいな鉄道トリックの出来上がりでした。

 

 トラベルライターの宮脇ナントカさんも著書で書いたことあるそうです。

 湧網線があった時代、名寄本線があった時代ですからかなり古い話で、その著書がなんなのか確認出来ませんでした。

 あくまでも、この話を教えてくれた人の記憶ですから宮脇さんじゃなく別の人の旅行記を勘違いしてるだけかもしれません。

 

 とりあえず、鉄道好きなオッサン、おジジの他愛ない話です。

 もしかすると、鉄道好きじゃないかも。生活の一部に鉄道があることが当たり前だった世代というだけかも。

 私も自分が鉄道好きと自覚したのは40歳前後でした。

 みんな同じように鉄道好きだと思っていた。でも思い入れが私と違う。あれ?もしかすると俺って俗にいうテツなのか?と気づいたのが40歳頃です。遅咲きのテツです。

 だって、鉄道っていいじゃん。見てるとワクワクするでしょう。

 昔、SLが引いて走る長い貨物列車を1.2.3…30.31.32って貨車の数を数えたガキの頃の気持ちって永遠だと思うでしょう?男なら誰でも男の子のままじゃない?って。

 それがテツと呼ばれるならOKってのが40歳前後。不惑の年ってそういうことかも。

 

 還暦過ぎて言わせてもらえば、今の北海道の鉄道。遊び心をくすぐることがないんです。

 老化かな?

 

 鉄道って面白いことがてんこ盛りなものなんだけどな。